今日感じたことをだらだらと書く

今日は「自分の仕事をつくる会」があった。個人でやりたいサービスについて発表して、意見をもらう会。

今日は今後のタスクを整理できればと思って参加したけど、

話は「ななちゃんはわがままだし歪だしエネルギーがあるから、綺麗にやらない方が良い」「そもそも何を仕事と定義しているか」「SNSでの印象と実際がだいぶ違う」みたいなところに行き着いて、仮で考えていたタスクは燃やされた。

明日何をしたらいいのか分からなくなったけど、話がそっちに逸れるってことは、逸れる必要があったんだと思う。

今日の話から思ったことや、少し前に思っていたことをだらだらと書いてみる。

仕事をつくる会における「仕事」とは

ライフワークであり、魂であり、心の底からの表現にもなるようなものを、ここでの仕事ととらえていた。

ライスワークやお金のための仕事も必要だけど、フォーカスしたいのは魂の仕事。

なぜかといえば、仕事というものに対していまだに嫌なイメージがあり、でも楽しそうに仕事してる人を見ると「羨ましい!」「そうはなれる気がしないけど、なりたい!」「仕事を楽しめない自分に腹が立つ!」「仕事が好きじゃないとか損でしかない、許せん」という感じだから。

仕事を楽しめない・働きたくないという根強いコンプレックスがあり、それに対抗するための何かを求めて右往左往している。

わたしは「これが自分の仕事だ」と言えるものを作りたいなと思っている、そういう欲求がある。仕事づくりにおいては、そんな気持ちがある。

SNSの印象と実際がだいぶ違うことについて

これはSNSで何か取り繕ってるつもりは無いので、自覚のないもののギャップを無くすのは難しいのだけど、でもSNS経由でコンテンツを作ってリアルで会うのであれば、会った時にギャップがあるのも微妙だなと思う。

自分に対するイメージとしては、短気・批判的・怒りエネルギー・怠惰・好き嫌いが多い・適当・がさつ・衝動などがある。これらはダメなものだと思ってるから封印してるんだろうか。

この辺を外に出す必要性を感じないけど、必要なんだろうか。うーん。こういうアグレッシブ系要素じゃなくて、なんかまた別の素っぽさがいいのかなぁ。エレメンツコードの潜在・表出・志向に似たものを感じる。潜在・表出・志向のどれをダウンロードしたらいいのか、自分に対して。

自分で決めることと人の意見を聞くことのバランスについて

特に今日みたいに信頼できる人たちの意見を聞くと、全部に対して「なるほど〜確かに」と思ってしまうから、全部を取り入れたくなる。

でも自分で何かをやる場合、最終的には自分で決めなきゃいけないわけだから、自分の基準に合わせて情報を取捨選択しないといけない。

この取捨選択が、何をやるにしても苦手だなぁと思う。原稿を書くときも冗長な表現になりがちだし。保険をかけるかのように長くなる。noteもそうだ。長い。

何においても情報の取捨選択ができていないからこその、長さだと思う。

短歌に助けられている

「表現」の話になったことで、わたしは短歌に助けられているなと思った。すごく嫌な気持ちがわいてきたときも、悲しいときも、何もしたくなくても短歌が書ける。マイナスのものがあった方が短歌を書けるから、便利だ。

もう29歳

自分より年下の人を見ると「若いな」と思ってしまうけど、自分が特別若いわけじゃないし、自分より年下の人だって別に若いわけでもない。自分より年下の人に子供がいようが、めちゃくちゃ活躍していようが、何も違和感はない。なんだかもう、特別若いっていう年齢は過ぎ去ったなと思う。

質の高さとは何だろう

質を高めてから世に出したい気持ちと、許せるレベルの質なら世に出しちゃっていいような気持ちとがある。質って何なんでしょう。何をもって及第点といえるんだろう。この辺の基準がないからこそ、ちょっとだけチャレンジしてみたこと、たとえば占いなどが続かなかったんだと思う。質に自信がないけどリリースして、そしてなんとなく質が低い気がして気まずく思えてきて、取り下げるみたいな。でも質が高い!というのは、何をもって分かるのか謎だ。

なんだかいろんなことが謎だから、落ち着いて行動ベースで過ごしたい。

毎日投稿341日目。


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