なんとなく幸せな日/人の間に入るのが極度に嫌い
Zoomでのタロット鑑定をしたり、Podcastの編集をしたりの日。
Zoomでお久しぶりの人と話せるのは楽しくて、幸せなことだ。少しずつZoomに慣れてきたから余計にそう思う。
いつだかぼんやりと「好きな人と仕事したい」と思ったことがあった。
でも実際、好きな人と仕事したいというよりは、「わたしのことを好きな人、または嫌いではない人とだけ関わっていたい」の方が本音に近いなと思った。
わたしが相手をどう思うかよりも、相手がわたしをどう思うかの方が大事かもしれない、意外と。相手がわたしの何かに共感・共鳴してくれたり、何かピーンと感じてくれているかが大事っぽい。
そのことに気づいたら、これまで6年間仕事してきた中での違和感や苦手なことにも納得がいく。
仕事する中でもっとも嫌なことにひとつに「人と人の間に入る」がある。嫌な理由は、自分で決められない、ややこしいすり合わせが必要、代わりに謝らなきゃいけない、仲介・伝言に何の意味がある?と疑問に思ってしまう、など。
面倒くさい上に意義を感じないので、まったくやろうと思えない。
でも実際は、人の間に入るような「組織っぽさ」のある状況は、周りの人がわたしを好きかどうか分からないから嫌なのかもしれないな、と思った。
仕事する人間にしては幼稚だが、仕事するために生まれてきたわけではないし、生きることの中に仕事があるんだから、自分の人生の価値観をそのまま仕事に持ち込んだっていいわけだ。
わたしは脳みその作りが単純なので、好き同士か、どっちかが好きか、って状況で人間と関わわるなら関わる意味を理解できるけど、そうじゃない場合の意味が理解できない。目的のために寄せ集められた人間たちで協力することの意味が、どうしても理解できない。
組織になると、好き同士でもなく、どっちかが好きなわけでもなく……という場面で人と関わる必要性が出てくる。
そんなところから互いに歩み寄るような動きにどうしても興味が持てない。好きでもない、好き同士でもない。誰の何のための努力なんだこれは。好き同士でもないのに……虚無だ……命の無駄遣いだ……好き同士でマッチングさせてくれ……と萎えてしまう。
わたしのことを好きだと思ってくれる人、または嫌いではなかったり、共感したりする人と交流していたい。それは虚無を感じなくて済む。意味があるし、人間関係に対して理解できる。
好き嫌いなく関わるのは、血縁や地域のつながりで十分だ。これからも仕事でくらい相手を選んでいこう、自分よ、と思った。たぶんいい調子。これからも心の友を増やしながら暮らしていく。
苦手な課題や方法にチャレンジするのはいいけど、価値観にそぐわないものや本気で理解できないものは排除していって良いなと思う。「生理的に無理」と同じことだから。生理的に無理なものは無理である。その精神。
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