本当にやらなきゃいけないことなんて無いから

本当にやらなきゃいけないことなんて無い。

少なくとも、小さい子どもがいないうちは、やらなきゃいけないことなんて、本当に無い。

「あした会社に行ったら、あれ片付けなきゃな」とか思いながら憂鬱になるけれど、

べつに明日の出社をサボったところで世界は終わらない。ただ、どうした?という電話がくるだけだ。

明日たくさんタスクのあるフリーランス。たしかに締め切りが近いかもしれない。でも、本当にそれを明日やらないといけないのか?べつに放置しても誰も死なない。

小さい視点で考えると、休んだりさぼったりすると、人様に迷惑がかかる。

でも、だからってだれかが死ぬわけじゃないし。規模は地球基準だし。殺されるわけじゃないし。地球の歴史からすると、ほんの一瞬だし。役割があって生まれてきたわけじゃないし。

やるべきこと と思ってるタスクは、
ただ自分の中の社会性の部分が「やるべきだ」と思い込んでるだけで、
本当に本当にやらなきゃいけないのか?問われたら
99%のことは「べつにやらなくていい」にたどり着く。

やらなきゃいけないことなんてないのに
色々なことに義務感かんじて
生きてしまうから、辛くなる。

それをやめたところで死ぬのか?
本当に人生終わるのか?
考えてみたらいい。

とくに仕事関係の失敗は、どうでもいいことばかり。
仕事は、必要のない「架空の責任」の押し付けあいで成り立ってる。

本当は必要ない業務を誰かが生み出して、
それを、さも義務かのように装飾して、
部下や外注の人に割り振ってるだけ。
部下や外注の人は、仕事内容と締め切りを見た瞬間に責任を感じて、
たいしたことのない仕事を「義務」だと思い込む。

べつに、地球の規模で考えたら、義務でもなんでもないのに。
仲間内のあいだで「義務」として扱うものを
みんなで共有して、
価値のないものを丁寧に扱って、
偽の感謝をしあってる。

本当はやらなくていいのに。
本当はやらなくていいのに。

なんか疲れたなってときは、
後回しにできるものは後回したらいい。
べつに、明日それをやる必要なんて、ないよ。
目先にある「偽物の義務」に潰されるのはもったいない。

なにかをやるときは、「本当はいつでも辞めていい」って自分に言い聞かせながら、適当にやったらいい。

本当にやらなきゃいけないことなんて、まずないから。目先のことに惑わされるのはもったいない。

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