見出し画像

脚本の奴隷(すなわちCofumiさんの奴隷)

Cofumiさんの詩は、私にとっては脚本です。
ご本人にとってはもしや不本意なことかもしれないのですが。
あくまで私個人の見解です。

ご本人の感情を絞り出したままの詩、というよりは、架空の世界観があって、そこに生きる主人公がいて、何らかの価値観を持って紡がれた言葉。
それらを想像させられています。

「レモンスカッシュ」は、恋を知らない文学青年が、大学の助教の先生が気になりだして、梶井基次郎「檸檬」のレポートを書かないといけないんだけど、どうにも先生のことが気になってぼんやりしちゃうとかそんな想像してました。その後の授業で「千恵子抄」が出てきたりしたとき、先生に「愛ってなんなんですか」と質問しててくれ。恋に苦しみながらレモンをきれいな歯ががりりと噛むんだろうな。私の脳内では岩井俊二が監督席に座っていますああ映像が綺麗じゃ無いはずないよね!

「嫁に行きます」は、愛を感じない結婚に涙こらえながら嫁ぐ花嫁の歌なんですが、私はこの花嫁を弱々しくしたくなくて、内心「クソが!」とか、怒ってても欲しいと思いました。「私にこんな屈辱的な日をあたえたからには、浮気でもしたら寝首を搔いて差し上げましょう」くらいの妖怪みたいな殺意と覚悟を持った花嫁。というキャラクターです。

私、演劇に目が無いもので。脚本の奴隷なんです。
つまりすでにCofumiさんの奴隷なのかもしれません。
ああ‥いつの間にか私の足には鉄の足枷が‥ああ‥(悦)

またその引き出しの多さが尋常じゃ無い。
今までどれだけのものを見て読まれてきたのでしょうか。
ただ感性だけの成し得ることなのでしょうか。
活発な方なので、人とのコミュニケーションの中であらゆる刺激を受けながら、自分の創造につなげてるのかもしれない。それだって、やり続けられる人はなかなかいないと思う。

今日は遅くなってしまったのでこのへんで。
それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?