私達は、二人の証人/月の獣

「月の獣」兵庫公演(2019/12/28〜12/29)
於:兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

「月の獣」が大千穐楽を迎えました。
何度見てもその度に愛おしさが増し、また何度でも見たくなる、そんな素敵なお芝居でした。
アラムが、セタが、そして2人のヴィンセントが、確かに私の中に息づいていた、そんな3週間でした。


老人になったヴィンセントの姿は、おだやかで満ち足りていて、ひと目でいい年の重ね方をしてきたということが見て取れる。私は二人の証人、と語る彼は、アラムとセタの命を受け継いだのだ、とそう感じる。血は繋がっていなくとも、彼らは確かに家族で、そしていい時を重ねてここまで来たのだろう。アラムとセタのその後は語られていない。だけど語り部がヴィンセントだということが明かされ、ヴィンセントが二人が私を引き取ってくれたと告げた時、私達は知る。アラムとセタのその後がいいものでなかったはずはないのだと。家族として生きた3人の時間を。
それを目撃した私達もまた、彼らの証人なのだと。


ヴィンセントは自由奔放なようでいて、人の心の機微にひどく敏感だ。自分が悪いと思ったら、臆することなく素直に謝る。その場ですぐ。それはきっと彼が、明日会えなくなる人がいることを知っているからではないのかと思う。或いは、伝えられずに今も抱えたままの言葉があるのか、とも。傷ついた分だけ、やさしく、大きくなるヴィンセントの姿は私の目にはやっぱり眩しく映る。

ヴィンセントへのプレゼントにかけられていたのはアラムが乳母車に飾ったものと同じ青いリボン。あれはアラムの、自分の子供への贈り物の象徴なのではないだろうか。だからきっとあの時点で、アラムはヴィンセントを自分の息子として受け入れることを決めていたのだ。そう思うと、プレゼントのリボンを解くのをためらうヴィンセントと、それを促すアラムの二人の姿がぐっと色濃く見えてくる。
そう、決めたのはアラムなのだ。意識的にしろ無意識にしろ、ヴィンセントを家族にすると決めたのはアラムだったのだとそう思う。そしてセタが言う。写真を撮って、と。私達は家族になるのね?と、あれはそう確かめる言葉だったのではないだろうか。アラムに同意して、ヴィンセントを家族に迎える、そういう言葉だったのではないか。あなたは写真家で、家族のことを記録していくのでしょう、と。劇中でセタが写真を撮ってというのはこの時だけだ。それは彼らが家族になったと感じたからの言葉なのだろう。

老ヴィンセントの語る言葉にも写真のモチーフが度々現れる。アラムと同じく、ヴィンセントもまた写真家の息子なのだ。

初めて三人で撮ったあの写真は、セタと二人、微妙な表情で映ったあのポスターの写真と重なる。あの二人の写真、そしてヴィンセントが加わった三人の写真。写真に映るヴィンセントは誇らしく歓びに満ち、セタは穏やかに微笑み、そしてアラムはなんとも云えない感慨を噛み締めているような顔をしている。それを見守る老人だけが、これから彼らが過ごす時間を知っている。しかし私達も彼の穏やかな眼差しに、それから起こることを知るのだ。

これは家族の物語。命を受け継ぐ、家族の物語だ。

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