見出し画像

懐古主義の物覚えの悪さ

「昔はよかった」という声を聞くたび、その忘却と美化の身勝手さに唖然とする。戦後7年目生まれの母は、「みんなが貧乏だった時代」(極貧者が多かったという意) を憎んでいるという。母は田舎の貧乏暮らしの苦しみを味わっており、記憶力も抜群にいい。


「昭和はよかった」は悪い言葉。お国のために亡くなった310万人の戦没者に対して申し開きが立たんじゃろ。加えて戦後は公害も覚醒剤も蔓延していた。戦後すぐ・1950年代・60年代の殺人事件は現在の2倍。


失ったときほど輝いて見えるのだろう。ノスタルジーは、ただの物忘れ。悪しき時代の記憶を都合よく消している。


わたしの母は「私鉄沿線」(失恋の歌) を嫌忌し、父は大っ好きだと言っている。わたしは歌詞を見ただけで泣いてしまう。母は未来志向であり、父はねちねちした気質によって、現実より、美しい物語を信じる。ちなみに父は、「五番街のマリーへ」(別れた女性を案ずる歌) も、たまらなく好きだそう。わたしはこの歌の値打ちがさっぱりわからない。


閑話休題じゃこりゃ。「昔はよかった」と懐かしむのは、物忘れがひどい証拠なのではずかしい。「あっという間の10年でした」も同様に、記憶力の欠如をさらしており、みっともない。


ところが、物覚えの悪い人にも利がある。忘却と美化は歴史をゆがめる行為ゆえ、「古き良き時代」の捏造は、長期的に自分を救う役割を果たす。正確に覚えていることが仕合わせとは限らない。それで人は過去の書き換えをやめることができない。

ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。