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SM恋愛小説とか、日本語の表記のルールとか、どんでん返しとか

お久しぶりのnote

お久しぶりでございます。
最近 note に、まともな文章を書いておらず、なんか貼っといただけ、という投稿が多くてすみませぬ。

創作に関する近況

次の作品ですが、書いてますよ。

恋愛拘束椅子(仮)の一作目です。今19600字ぐらい。20000字の予定で書き始めましたが、あと2シーンあって、最後のシーンは落とすだけなので24000字ぐらいになるのかな。まあ、前半に余計なことを書きすぎているだけで、減る可能性もありますが。

どういうふうに公開しようかはまだ決めてないのですが、いつもここに来てくれる方やXのフォロアー様のために、短期間でも一度は無料で公開します。

まあ、発売直後に無料キャンペーンやるって手もあるんですけどね。

今ちょっと難しいところに来ているので、納品物も並行して書きながらやっております。

ルールは破ってもいいけど、あえて破るメリットはどこに?

あと、最近思ったことなどをちょっと書いてみたいと思います。


小説作法のルールをぶっ壊したのは?

そのひとつは、日本語の表記を壊しているのは、投稿サイト? という疑惑。

さて、日本語の表記にはルールがあります。

誰かが決めたこと、というよりは共通認識に近いものなんだと思います。

三点リーダー『…』は、二個セットで使う(あるいは偶数個)って表記の決まりがありますよね。

そういうルールについては知っているので、キンドルで縦書きの電子書籍を出すときは、二個使います。

ですが、noteにこういう文章を書くときには、面倒なので一個しか使いません。

私が書いている女性向け官能小説のサイトの、マニュアルには、三点リーダーはひとつだけ使うようにと書いてありました。

え?
と思ったけど、慣れるとひとつのほうが使いやすい。

それから、二人で会話をするシーンについては、謎の新ルールが書かれていたのです。

例文
「ねえ、猫山くん、わたし、猫山くんのことが好き」
『ぼ、ぼくも猫村さんのこと、ずっと気になってたんだ』
「嬉しい! じゃあ、わたしの首筋を噛んで、思いっきり!」
『いいのかい? じゃあ噛むよ。それから尻尾は横に倒して』
「いやっ。もう猫山くんってば、えっちなんだから」

何が言いたかったかというと、発言者によって、「」と『』を使い分けるというルールです。

あれ、通常は会話文の中に伝聞がはいっているときとか、本のタイトルなどに使うんですよね。でも、使い分けると、文章でどちらが何を言ったか書かなくていいので書く方も読む方も楽ですよね。

それから、多重鍵カッコ
「子ヤギたち。オオカミが来ても決してドアを開けてはいけないよ。わかったわね」
「「「「「「「はーい!」」」」」」」

こうやって、鍵カッコを7個書くと、7匹の子ヤギたちが同時に同じことを言っているという意味になるらしいんですよ。

ひゃーびっくり。
小学校で習ってないよそんなこと。

そんなクソみたいな、文章を書くことを放棄するようなルール、誰が考えたんですかね。私は死んでもそんな書き方しないけど。

いや、新しいよね。

調べてみたのですが、このような鍵カッコの使い方は、ラノベからはじまったらしいのです。

えっと、そもそもラノベとは何でしょう? 私の考えるラノベ(コバルトとかメフィストとか電撃とか)は、旧ラノベというらしいんですよ。いやもう、前提条件整えるのが大変だわ。

今はラノベ=な〇う系、という認識で合ってますか?

ネットの時代になってからというもの、日本語がおかしくなっていくのが加速しましたよね。

だって、昔は他人の書いたものを読む機会は、学級通信や私信を除き、印刷された文章はすべて校閲を通過したものだったわけですからね。

まあ、ネットがない時代だって、日本語は変化してましたけどね。「ら」抜き言葉とか、「い」抜き言葉なんて、昔はよく注意されたけど、今はもう誰も目くじらを立てない。

ただ、口語→雑誌などの記事→小説 と、小説まで到達するまで時間がかかったし、言葉でない部分(鍵カッコの使い方)まで影響されることはなかったんじゃないかな。その時代は、同人誌を除くフィクションのコンテンツはすべて校閲を通過していたわけだから。

ちょっと話は逸れるけど、成人指定などのルールを設定するのは誰か?

えっと、一応調べてみたのですが、文字で書かれたフィクションの作品の表現を制限する法律(猥褻物頒布など)は、現在のところないって認識で合ってますよね。あくまでフィクションの話です。

ですが、やはり発表する媒体が独自に定めた成人規制というのがあって、それはサイトや版元によってまちまちです。

というわけで、創作物を発表するにあたり、従わなければならないのは、媒体が独自に定めたルールということになりますよね。

でもって、共通認識としての表記のルールまでも、発表媒体に言われたら従うけど、そうでないものについては好きにさせてよね。
というような発言を某所で見て、なんかもう、すごくすごくすごく驚いたのです。

で、それによって何か表現上の効果は?

某所で、三点リーダーを「……」ではなく「・・・」と書きたいって言っている人を見かけたんですが、「・・・」と書くことによって、何かメリットはあるのか? 

ルールを破るからには、何かしらの表現上のメリットがないと、ただ、読みにくさを読者に押しつけるだけになるんじゃないかなー。
というただそれだけのお話でございました。
前に散々書いたから割愛するけど、視点の話も同じ。リンクを貼っておきますね。


些末な話がやたらと長くなったけど、オチにどれだけの意味があるのかって話

もう、三点リーダーの話で疲弊しました。
なので手短に。
もちろん紙媒体の時代から、冒頭の「引き」は大切だと言われておりました。

読んでもらえるかどうかは冒頭で決まります。
そういうことであれば、凝ったオチとかどんでん返しって必要ないってことなのかしら?

私は、小説を書く=どういう風に落とすかだけが楽しみ な人なので、オチもどんでん返しもいらないよ、と言われたらショックでしばらく立ち直れないと思います。

ま、そう言われても、落とすけどね、がっつりと。


Web小説の波にまったく乗れていないわたくしが主宰する耽溺Novelsの全作品はこちらから見られます。

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