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【R-18】短篇小説 ボディペイントチョコレートと百合の花2/5

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 会社に着くと何人かの同僚が私の誕生日を覚えていてくれた。昼は会社の近くの割烹で即席の誕生会もしてくれた。割烹といっても昼はランチメニューなども出しているような気軽な店だ。夜は習い事と称して、入社間もない頃からキャバクラで働いていたので、ほとんど誘われることはない。
 二月も半ばになると年度末に向けて何かと忙しくなってくるので、2時間ほど残業した。イケダさんの予約は九時だから、充分間に合う。

「ヒナコちゃん今日はデートじゃないの? 誕生日に残業なんて、ちょっと寒くない」
「寒いも寒くないも、私の恋人はイカですから」
仕事をしないセクハラ社員の杉本という奴と組んでイカの輸入に関わる仕事をしている。おかげで、どんなシモネタを振られても、眉ひとつ動かさずに対処できるようになった。
「終わったら二人で誕生会しよう」
「あいにく今日は先約があって……」
「なんだ、やっぱりデートか。じゃ、詳細は明日報告してもらおう。どんな体位でやったか」
「カエルのぬいぐるみ抱いて眠ってるところをビデオに撮っときますね」
そう言うと、私は杉本を置いて、更衣室へ向かった。
 
 新宿の歌舞伎町にある店に着くと、女の子も少なかったけど、お客も来なかったので適当に本を読んで過ごした。イケダさんは、いつものラブホではなく、今日はシティホテルで待っているらしかった。時間になり、ドライバーのジロー君にホテルまで送って行ってもらった。ジロー君は一週間前に入ったばかりのバイトだ。指定された部屋まで行ってドアを開けた。
「ユリナちゃん、お誕生日おめでとう」
大きな白い百合の花束を手にしたイケダさんが出てきた。
ユリナというのは私の源氏名だ。風俗嬢に白い百合か。皮肉としてはまあ気の効いた部類に入るかもしれない。
「わぁ、イケダさん、覚えててくれたんだ。私の誕生日。ありがとう」
花束を受け取って、頬にキスしたら、抱きしめられて唇にキスされた」
「お花、つぶれちゃう」
少し考えてから花束を窓際のコーヒーテーブルの上に置いた。ベッドの上だとまたつぶされることになりそうだし、バスルームだと湯気にやられそうな気がしたからだ。はめ殺しの窓からは、高架線の向こうに新宿高層ビル街の夜景が見える。
「今日は忙しかった?」
「すごいヒマ。月曜日はお茶っ轢きだもん。本業は年度末だから忙しいけど」
「……本当にお茶轢くの?」
「あはは、轢かない轢かない。私もびっくりした、最初は。まだ言うんだよ、江戸時代の花魁言葉みたいなこと、二十一世紀にもなって」
「二十一世紀が本当に来るなんて思ってなかったなあ。一九九六年に世界は滅亡すると思ってた」
「それって、ノストラダムスの大予言?」
「そう」
「もう滅びてるのかもしれないよ。私たちが気づかなかっただけで」
「それも悪くないな。生き残りってわけだ」
「そう、だから人生は楽しまなくちゃ。イケダさんたら、おしゃべりしてるうち時間なくなっちゃう。シャワー浴びよう」
 
 私は生き残って、毎日よく知らない何人もの男の相手をする。イケダさんの膝の上に座って手を胸に持っていく。
「食事した?」
「してない、ってか、する習慣がない」
「なんで?」
「うーん、なんとなくね、忙しいから。昼食べると、夜はなんとなく食べる気がしない」
「じゃあ、食事しよう」
「いいけど、時間来たら帰らないと。それから、お金払ってもらわなきゃならないんだけど……」
「そんなことわかってる。誕生日ぐらいゆっくりしたいだろ。確実に会いたかったから予約は早めにしといただけで」
「誕生日だって、お客さんには本当は教えてないの。予約殺到するの嫌だし」
「じゃあ、行こう」
「お花、置いていって大丈夫?」
「大丈夫だよ。……気にしてくれてありがとう。プレゼントし甲斐がある」
私たちは部屋を後にして、ホテルのレストランに行った。
「緊張するなあ。初デート」
キャバクラで働いていた頃は、お客さんと外で会うのは日常茶飯事だったのに、やめてからすっかりそういうことはなくなった。よく考えたらイケダさんと外で会うなんてこれが初めてだ。シャンパンはちょっと遠慮気味にブーブ・クリコにしておいた。料理はスープと魚介から適当に選んだ。イケダさんは私がイカ関係の仕事をしているの知ってたっけ?そういえばイケダさんがどんな仕事をしているかさえ私は知らない。
「イケダさんって、下の名前は何ていうの?」
「ユースケ」
「本名?」
「偽名使ってどうするんだ?」
「それもそうよね」
「まさかユリナって、本名じゃないでしょ」
「源氏名よ。いかにもでしょ。でも最近の若いコって、みんな少女漫画の主人公か源氏名みたいな名前しててびっくり」
「若いコって?」
「あ、中学生とか、そのくらいの子」
「……まさか、本職は教師?」
「すごい。昼は女教師、夜は風俗嬢。違うけど。それはそれでなかなかいいよね。父兄会でお客さんとばったり……とか。一年前まで、学生だったから家庭教師してたの。最近の中学生ってみーんな本名からしてキャバ嬢みたい。私の本職はセクハラされるのが仕事みたいなもんだから、まあ風俗嬢とそう変わらないかも。イケダさんって何してるの?」
「呉服屋」
「きゃー、どうりで若旦那って感じ。京都の染め元の息子で、置屋に仕立物届けに行った先で完璧に整った足を発見……」
って、どっかで読んだ話。何だったっけ? 女郎蜘蛛の入れ墨を彫るやつ。
「話作るのうまいなあ。でも残念ながら社員なんだ」
「へえ、和服着たら似合いそう。師匠って呼んじゃう」
「ほとんど着ないけどな」
「うちの会社では、昔は仕事始めに振袖着てたらしいよ」
「旧財閥系だな」
「そーそー、今でもOLとホステスの区別がつかない会社。先ずはビールの注ぎ方から」
「まあ、どこもそんなもんだ。うちは、行儀見習いからだよ。何しろお得意様はお金持ちのマダムばっかりだから」
「イケダさんってもてるんじゃない。マダム受けしそう」
「そんなことないよ」
ボーイがやって来て、音を立てずにシャンパンを抜いてグラスに注ぐ。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
私はこんなところで何をしているのだろう。やはり誰かと食事になど出かけるべきではなかった。私に必要なのは、ナイフに刺し貫かれるように、欲望に刺し貫かれること、求められ、受け止めること。そうしないと、また自分で自分を傷つける。
「また、浮かない顔してどうしたの?」
「……あ、ごめんなさい。なんでもないの」
「誕生日なのに、彼と会ったりしないの? それとも家で待ってる?」
「イケダさんには関係ないでしょ」
「ごめん。でも気になるから聞いた」
「そんな人いたら、こんな仕事してない」
「今日は何時で終わり?」
「もうこれで終わり。あとは帰るだけ。カエルのぬいぐるみと一緒に寝るの。明日も仕事だし」
「そのカエル、ちょっとうらやましいぞ」
食事が運ばれてきた。
「ああ、ちゃんとしたご飯食べるの二日ぶり」
「一体どういう生活してるの?」
「大体カフェでてきとうに済ませてる。今日はちゃんとしたご飯をありがとうございます。これで向こう3日間はご飯食べなくても生きられる」
「そこまで言ってくれると、驕り甲斐があるってもんだ」

次回のお話


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