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犬 中勘助著 (12)

※中勘助著『犬』という作品です。
※旧仮名遣いは新仮名遣いに、旧漢字は現在使われている漢字に修正し、読みの難しい漢字にはルビを振ってあります。

前回のお話

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12
 彼女はもうどうする力もなかった。ただ正体もなく泣き崩れていた。聖者は委細かまわず着物をぬがせはじめた。彼女の身体は纏った布片の解かれるに従ってあるひろがりずつがわりわりと露れてゆく。聖者はか上気して 変な顔になった。とうとう腹部が裸になった。彼の手がそこに触れた時彼女 は反射的に跳ね起きそうにした。
しずかにしろ」
かた手で頸をおさえつけた。ひどい力だった。そしてかた手でそろそろと揉みはじめた。彼は五体をふるわせてひどく喘いだ。彼女は無我夢中のあいだにもその熱い臭い息の吹きかかるのを感じた。聖者は生涯にはじめてさはった女の肌の滑かさと腹の柔みを覚えた。彼は人間というよりは寧ろ化物のような様子をしてだんだん強く揉みしめてゆく。そしてそのうちに生きて隠れているものを長い爪で突き刺してやりたいと思う。彼女は悶え苦しんで脂汗をたらたらと流した。聖者は眼をすえてその蛇のように捩じれる肉団を見つめた。彼女は終に気絶した。
「おお、気をうしなったか」
 聖者は悪夢から醒めた様に我に返ってほっと息をついた。彼が毎夜ひそかに貪り見た女の肉体は今その上半を露出して膝の前に横はっている。彼は猿みたいな顔になってわくわくしながら其一個處から他の個處へと目をうつした。
「おお、このちち」
 その絹のような肉の袋はほとばしり出ようとする生気ではちきれそうに張っている。彼はそのひとつをふっくらと掴んでみた。それは大きな手にあまってぶくぶくとはみだそうとする。いかにも女らしい肉と脂の感じである。彼はまたよく肥えた上膊じょうはくを握ってみた。胸より腹へ、肩より背中へと撫でまわした。肉体の凸凹が手のひらの感覚をとおして一種微妙な強烈なまざまざしさをもって伝えられる。彼は頬ずりした。その唇に口をつけた。全身の血がどす黒く情欲に煮えた。彼は娘の覚醒するのをおそれてそうっと着物をほぐしはじめた。上体とよく釣合った下半身が露れた。それをまた先のとおり精査した。彼は女の匂を嗅いだ。髑髏の瓔珞ようらくをはずしてかたえにおいた。そして眼を血走らせて女の身体に獅噛しがみついた。
 その前夜回教徒はジェラルが奇怪なものと刺しちがえて死んでいるのを見 出して非常なさわぎをした。彼らはそれを敵意をもったクサカの住民の悪病にかかったものだときめた。夕刻彼らはわずかの形見だけをのこして、身分と勲功の高いジェラルの遺骸をかつて彼が天幕を張ったとのある榕樹の蔭に埋め、 そのうえに出来るだけ大きな石を置いた。彼らはこの誰にも敬愛された美しい若い騎士の思いもかけぬ無惨な死を悲しんだ。夜に入ってマームードのいかりと人間の野性がクサカの町にむかって爆発した。回教徒は全市に放火して灰燼かいじんに帰せしめ、逃げまどう住民を手あたり次第に殺戮した。暗い大きな平野のなかにクサカの町の滅亡する火焔と赤黒い煙とがもの凄く舞いあがった。 それはちょうど彼女が草庵の中で気をうしなっていた時であった。
 聖者は手さぐりに燈明へ油をさして火をともした。娘はまだ喪神してい る。ただ前とは姿勢がちがっていた。彼ははじめて女の味を知った。彼は今 弄んだばかりの女のだらしなくよこたわった身体を意地汚くしげしげと眺めてその味を反芻した。そうして今までとは際だってちがった一種別の愛着、性欲的感覚にもとづくところの根深い愛着を覚えた。彼は嬉しかった。たまらなかった。で、蜘蛛猿みたいに黒長い腕を頭のうえへあげて女のまわりをふらふらと踊りまわった。
「わしはもうなにもいらぬ。わしはもう苦行なぞはすまい。なにもかも幻想ぢゃった。これほどの楽しみとは知らなんだ。罰もあたれ。地獄へも堕ちよ。わしはもうこの娘をはなすことはできぬ」
「それにしてもわしは年よっている。そうして醜い。これからさきこの娘はわしと楽しんでくれるぢゃろうか。いやいや、とてもかなはぬことぢゃ。ああ、わしはあの男のように若う美しゅうなりたい。そうしたなら娘も喜んで身をまかせてくれるぢゃろうに」
 彼は醜悪ではあるが悲痛な様子をした。
「そういうめにあってみたい。一日でもええ。ただの一遍でもええ。おお、
なんたらうまそうな身体ぢゃあろ」
 そこで身をかがめていいきかせるようにいった。
「これ娘、わしはどうでもそなたをはなしはせぬぞよ」
「わしは此娘をひとにとられぬ様にせにゃならぬ。若い男はいくらも居る。ああ」
 彼は悶えた。泣きだしそうな顔をした。そうして久しいこと思案していたが終になにか思い浮んだらしくひとりうなずいた。
「そうぢゃ。わしはこれの姿をかえてしまおう。ふびんぢゃがしかたがない。わしらは畜生になって添いとげるまでぢゃ。よもやまことの畜生に見かえられもすまい。若い男も寄りつかぬぢゃあろ」
 彼はそっと娘を抱き起して藁床のうえにうつ伏せにねかした。そして上からしつかりとかじりついて猫のつがうような恰好をした。それから娘の頸窩けいかの毛をぐわっとくわえながら怪しい呪文を唱えはじめた。と、尖った耳の生 えた大きな影法師がぼんやりと映った。そしてすうっと消えた。それと同時に彼の五体が気味悪く痙攣しだした。

続きのお話

追記
グーグルドライブで画像からテキストを起こせることがわかり、進みが早くなりました!
この作品は、発表直後(大正1年)に発禁となり、問題箇所を伏せ字として出版された経緯があります。全集の活字も伏せ字だった部分のフォントが違っています。下の画像の3〜9行目が出版当初に伏せ字だった部分です。



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