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【短編小説】ESCAPE LOVE ~シブヤの海に浮かぶ城2/6

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「私、安田さん追い出しちゃったのかな?」
「いや、元はといえば、安田が電話待ちだったから付き合いでお茶しに来たんだ。で、その電話がかかってきた。それだけ」
「それにしても、久し振りだね。すっかり大学生になってる。コンタクトにしたんだね」
「まあ、一応大学生だしな」

 すごい。言葉もあっという間に標準語になっている。ヒロキ君の母であるリョウコ伯母さんは、私の母の姉だ。母は奈良の出身なんだけど、大学に入ったときからずっと東京で暮らして、そのまま就職して父と結婚した。リョウコ伯母さんは京都の大学に進学したこともあり、ずっと関西圏で暮らしていたのだけど、ダンナさんのアキヒロ伯父さんの仕事の都合でしばらく東京に住んでいた。私が小学校に上がる少し前のことだった。

 その頃私は、毎週のようにヒロキ君と遊んだものだ。本当のお兄ちゃんみたいで、でも違う。というか、私もヒロキ君もひとりっ子だったので、本当の兄弟というものを知らないのだ。それでも、時間が来ると帰っちゃうところがなんだか子供心にも切なかった。

 その頃は日曜日の夕方、が大嫌いだった。ヒロキ君も同じだったと思う。
「なあ、ヒロキ。フミエちゃんとはまた来週会えるんやし、な。そろそろ帰らんと」
 ヒロキ君をなだめるリョウコ伯母さんの柔らかな奈良弁とか、テレビから流れてくる笑点のテーマソングとか、そんなもののすべてを憎んでいた。

 ヒロキ君一家が東京にいたのは、二年くらいだっただろうか。アキヒロ伯父さんが大阪の本社に戻ることが決まり、一家はまた奈良へ戻っていった。ヒロキ君のところに行こうよ。今日はリョウコ伯母さん来ないの? ヒロキ君、奈良に帰っちゃったんだよ。じゃあ、奈良に行こう。遠いから行けないよ。じゃあいつ行くの、来週行こうよ。そんな押し問答を母と繰り返した。

 両親は気を使って毎週日曜日にはいろいろなところに私を連れ出してくれた。遊園地、プール、ショッピングセンター、ハイキング……どこに行っても私が言うことは同じだった。ヒロキ君も来ればよかったのに。

 それでも、少しずつヒロキ君は私の日常から姿を消して行った。夏休みと、お正月には会うことはできたけど、やはり離れていると共通の話題もなくなる。私は小学校の二年生、ヒロキ君は四年生になっていた。四年生にもなって、女の子と遊ぶのは恥ずかしいことなのだろう。時々会ってもなんだかよそよそしくなって、ヒロキ君が高校に上がる頃には、リョウコ伯母さんだけが家に来るようになった。

 その頃、アキヒロ伯父さんはまた東京に転勤になった。ヒロキ君の高校のこともあって、伯父さんだけが東京に単身赴任していた。一番最近ヒロキ君に会ったのは今年のお正月だ。大学受験を控えてピリピリしていたんだろう。雰囲気は暗く、顔色も悪く、ものすごく無愛想だった。受験の間はアキヒロ伯父さんのマンションにずっと居たはずなのに、一度も家には来なかった。

 ヒロキ君は東京都下にある国立大学に進学することが決まったので、一家揃って東京に引越して来ることになった。それも母から聞いたことで、東京に居るのは聞いていたけど、ヒロキ君に会うのはお正月以来だった。
 
 大学に入って落ち着いたのだろう。久し振りに会ったヒロキ君はやっぱり小学生のときのヒロキ君のままだった。よく考えたら、親抜きで会ったのは初めてだ。大人達に気兼ねすることなく話をしてみると、ヒロキ君は、本当に面白いやつだった。親戚に対する観察眼は鋭く、話の面白いところを見つけ出す才能に長けている。
 
 結局私はその喫茶店に三時間も居座ってしまった。エリカちゃんとの二時間とヒロキ君との一時間で合計三時間だ。
「ヒロキ君、ケータイの番号教えよっか。うちの電話番号くらい知ってるよね」
「いいよ、フミエちゃんの家の電話番号くらい知ってる。ってか、知らないけどおふくろが絶対知ってる。ケータイ嫌いなんだ。持たされてはいるけど」
 いまどきケータイ嫌いな人なんて、珍しい。でも、ヒロキ君って、昔から変なところが真面目だったので、電車の中とかでは律儀に電源を切っていそうだ。
「ふーん、まあいいや。じゃ、うちに電話して。どこかで遊ぼうよ。せっかく東京に来たんだから」
 再会の約束をして店を出た。

 駅まで一緒に歩いていって、中央線に乗った。
「フミエちゃん、これからどうすんの」
「うん……、渋谷に寄ってちょっとだけフラフラしてから家に帰る」
「そのさ……フラフラするのに俺もついていっていいかな」
「いいよ。でも男の子が行ってもつまらないようなところばっかりだよ」
「そう、そういうところに行ってみたいんだ」
「本当につまらなくっていいんなら」
 私たちは、新宿で山手線に乗り換えて、渋谷を目指した。
 
 渋谷に、何があるってわけじゃないんだけど、乗り換えのついでにちょっと寄り道して行くのが習慣になっている。その日によって寄るところはいろいろだ。
「ヒロキ君、渋谷ってよく来るの?」
「全然来ない。大学田舎にあるから行っても吉祥寺までだな」
「へえ、吉祥寺、面白そうだね」
 私はすっかり、得意になって渋谷のあちこちを案内した。先ずはセンター街を軽く流して、スペイン坂を上がり、公園通りに出て、そこから一旦駅に戻って、マルキューの前はなんだか人だらけだったので、BUNKAMURAからランブリングストリートに入った。その頃にはあたりもずいぶん暗くなってきて、周りはベタに腕を組んだカップルと、派手な格好をしたライブハウスの入り待ちの子達ばっかりになっていた。よく考えてみたら、私とヒロキ君だって人から見ればカップルだ。
「ここが、渋谷でもっとも有名な円山町の入り口。ねえ、ヒロキ君ラブホ行ったことある?」
「ないよ。フミエちゃんは?」
「私もないよ……行ってみようよ。前々から中見てみたいと思ってたんだ。さすがに一人とか、女の子同士じゃ行けないしさあ」
 システムとか、中はこうなってるって話は、今までに飽きるほど聞かされている。エリカちゃんが、昨日彼氏と別れるまでは、円山町完全制覇に向けて快進撃中だったということは、ヒロキ君には黙っておこう。口が堅いということも、私が女の子に人気がある理由のひとつだからだ。
「え?……そんな……アツコ叔母さんにばれたら、殺される」
 アツコというのは、私の母の名だ。
「あははは、ばれるわけないって。別に変なこと考えてるわけじゃないんだ。ただ、どういうところか見てみたくって」
 見るだけならってことで、ヒロキ君を納得させ、私たちはラブホ街に入った。すごい。どこもかしこもラブホだらけだ。かの有名な「ご休憩、ご商談」の看板を掲げているところもある。こんなところで一体誰がご商談するんだ。周りを歩いているカップルは次々に薄暗い入り口に吸い込まれていく。と思うと、突然通りに出現するカップルも。みんな全然恥ずかしそうには見えない。制服を着た高校生のカップルもいる。学校に通報されたりはしないのだろうか。とりあえず、制服のない学校に行っていて良かったとひとまず安心してみる。
「どうせ行くなら、すごく悪趣味なとこがいいなあ。ミラーボールとか、天井に鏡とかがあって、遊園地みたいなとこ」
 なるべく大仰な、白亜のお城みたいなところを選び、空室のサインを確認して中に入った。その名も「モンサンミッシェル」だ。暗い受付には、室内の写真のあるパネルが並んでいて、空室のところだけに蛍光灯が点っている。105号室には、ピンクのカバーがかかった円形のベッドがあった。すげー、せっかく来たんだからやっぱりこういう部屋でないと。ベッドは動いたりしないんだろうか? 105号室のボタンを押すと、パネルの裏のライトが消え、受付からルームキーとしわくちゃの手が出てきた。うわー、なんだか都市伝説っぽい。ってか、これが普通なのか?

続きのお話


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