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短編小説 指を数える(サンプル)

【あらすじ】
睡眠以外のことに切実な欲求を感じたことがないヨリコは、何かを好きになったり、選び取って、えこひいきしてしまわないように注意深く生きている。ある日、同棲相手のユタカから好きなだけ眠っているだけでいいという奇妙なアルバイトを紹介され、眠っているヨリコの指をひたすら数え続ける小暮さんに出会い、失われたおじいちゃんの記憶が少しづつ蘇ってくるのだが……。

【本文試し読み】

 その奇妙な仕事の話を持ってきたのは、同棲していた恋人のユタカだった。
 
 毎日毎日、何にもしたくなくって、眠ってばかりいた。私は何よりも眠るのが好きなのだ。ユタカは働くのが好きで、眠る暇もないくらいに働いてばかりいる。
 結果的にユタカに養ってもらってはいるけど、べつに頼んでそうしているわけではない。眠ってばかりの私のことがいやになったら放り出せばいいというだけの話だ。
 物心ついたときから私は、睡眠以外のことに切実な欲求を感じたことがない。物欲も乏しく、食事も一日一回しかしない。猫を飼うより安上がりな女だと思う。
 それにしても、ユタカはなんであんなに働くのが好きなのだろう。そりゃ労働は尊いと私も思うけど、ただ単に労働の尊さを噛み締めるためだけに、あんなにしゃかりきになって働いているのではないような気がする。それだけはよくわかる。
 疲れたね、とか、がんばったね、とか、少し休んだら、とか、ユタカにそういう言葉をかけてあげるのは楽しい。たぶんそういうふうに労ってもらうためなんだろう。
 
「ヨリコにいいバイトがあるんだ」
ユタカに揺り起こされて目を覚ました。
 ユタカが帰ってきたのは深夜の二時ごろで、私は、布団の中でニュースを見ているうちに眠ってしまったようだった。眠りに落ちる前に、小学校一年生の女の子が何者かに誘拐されて殺された事件が報道されていた。髪の毛をふたつに結わいた、すこし寂しそうな面持ちのその子の顔はずっと昔に知っていた誰かに似ていると思った。その子の夢を見ていた。夢の中でその子が誰なのか、ずっと思い出そうとしていた。
 ユタカはひどく疲れた顔をしていた。ユタカの疲れた顔はすごくかっこいい。少し伸びた無精ひげや、こめかみを指先で押さえる仕草が、すごくこなれている。
 私は寝起きがよく、どんなに深く眠っていてもすぐに覚醒することができる。夜中に何回起こされても、すぐに眠りの世界に戻ることができ、昼間にどんなに眠っても、夜眠れなくなることはない。
 私は何かに弾かれたように目を開けて、布団の上に胡坐をかいた。天井から吊るされている蛍光灯の輪が眩しくて、目の奥に黒い輪が浮かんで消えた。
「いいバイトって?」
 バイトのことより、ユタカの疲れっぷりと、外気で冷え切った手足のほうがずっと魅力的で、すぐに布団に引きずり込みたいと思いながら、ユタカの目の隈のあたりを盗み見る。
「ただ、眠るんだ。ガラス張りのブースみたいなところで」
「へえ、眠るだけのバイトなんて、あるんだ。眠ってる間にへんな薬を打たれたり、眼圧を計られたりとか、そういうやつ?」
「それを言うなら、血圧だろう」
「眠りの実験だったら、眼圧じゃない?」
 

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