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猫背なおしに、目抜き通りへ。

夜の銀座を歩くのが好きだ。

何も高級なお店でショッピングをしたいからとか、高級クラブに行きたいからとかそういうことではない。なんならそんなところには、いきたくてもいけない。高級クラブどころか、馴染みのカフェにも入らない。

とにかく、ただ歩くだけである。新橋駅をおり、銀座8丁目交差点から、7丁目、6丁目…と東京駅に向かって、銀座の目抜き通りこと「中央通り」をただただひたすらに歩いていく。

この文章は、夜の銀座中央通りを歩いているときに感じたことを、椎名林檎さんとトータス松本さんによる楽曲「目抜き通り」にのせてお届けしようという、何とも無理やりな試みである。

※見出しは全て「目抜き通り」の楽曲から拝借しております。


1-『誰も知らない私が何なのか』

海外の方こそめっきり減ったものの、このご時世でも銀座の目抜き通りはそれなりに人がいる。当然だがすれ違う人は、今まで会ったこともない肩書きも苗字も知らない人ばかりだ。

仕事帰りに脇目も触れず駅に向かっている方だったり、名店の紙袋をぶらさげてルンルンの表情の方だったり、「うひょーここが銀座かぁ!」とビルを見上げるながら写真を撮りまくる方だったり、あれは秘密のデートっぽいなぁというおふた方だったり…そりゃもう人の数だけ表情と感情が入り乱れている。

表情と感情は多種多様であるが、その共通点を漢字一文字で表すとするならば「活」であろうか。「はぁ僕もう無理。どよーん。」という空気をまとって銀座を歩き続けている人はあまり見たことがない。

そんな中を歩くと自然と自分の背筋も伸びて、身も心もシャンとする感じがする。気持ちが前向きになっていくのだ。

これは私の勝手な想像なのだが、普段猫背の私は背筋が伸びる事で血の巡りが良くなり、頭が活性化するんじゃないかと考えている。だからポジティブな考えになっていく(これ、あながち間違っていない気がしませんか?)。

「そしたら普段から猫背なおせばいいじゃん。」というご意見は夢がないので、ここでは触れないでおく。


2-『最新のネオンサイン探したい』

高級ブティックはもちろんだが、昔からあるんだろうなぁという雰囲気の帽子屋さんや、某牛丼屋さんや某ファストファッション店といった庶民の味方的存在のお店もドンとそこに鎮座している。

「銀座の牛丼屋は一味違うのだろうか」と一度入ってみたことがあるのだが、普通にいつもどおりの味でおいしかった。メニュー名が「和風甘辛ベースの牛こま切れ煮込み〜優しく炊いたご飯にのせて〜」とかになっていやしないかと期待してしまったのに。

日本トップクラスの坪単価をたたき出す銀座という地に、輝くネオンを添えてそこにあるお店の数々は、銀座にあるというだけで既に只ならぬ雰囲気を醸し出している気がする。

いわば全店がパワースポット。
銀座界隈はパワースポット密集地帯なのである。

そんな数々のお店を目の前にすると、身も心もシャンとする感じがする。気持ちが前向きになっていくのだ。

これは私の勝手な想像なのだが、普段猫背の私は背筋が伸び…以下同文。


3-『つらい仕事にご褒美のない時も 惚れた人が選んでくれない時も』

想定外の「うまいくいかない」にさいなまれる。想定外すぎてはらわた煮えくりかえる時もある。口をついて「疲れたぁぁぁん。」というため息に近い独り言が出てしまう。

そんな時には、銀座の目抜き通りを歩く。

すると、猫背がなおって血の巡りが良くなるからなのか、人と場所の圧倒的なパワフルさが刺激となってなのか、目抜き通りを抜ける頃には気持ちが立ち直っていることが多い。

いろんな人に触れ、場所に触れ、裏道あり、脇道あり、目抜き通りありという銀座の全体的な構造は、何だかまるでひとりの人間の人生のように思える。銀座の目抜き通りを歩く時のように、毎日の生活が刺激に満ちたものになったらいいのに。

では、自分の人生における「目抜き通り」とはなんなのだろうか。


4-『あの世でもらう批評が本当なのさ』

仮にである。人生における目抜き通りを「自分が輝ける場所」とする。

しかし「自分が輝ける場所」とは、結果として「あぁ…あの場所が俺の輝いている場所だったよなぁ。」と思い返して初めて気づくものなのではないだろうか。それは今いる場所なのかもしれないし、他の場所なのかもしれない。極端に言えば「あの世」で初めてわかるものなのかもしれない。

あの世で神様に「いやーお前の人生の目抜き通り、あっちじゃなくて、こっちだったんだよねぇ!もったいなかったねえ!」とか言われようものなら成仏しようにもできない。

『ええ!じゃあもう一回同じ人生歩ませて下さい!』
「いやいやそんな君だけわがまま聞いてあげるわけにはいかないよ!」
『ですよね…』
「しかも次の転生先は決まっているから…」
『え!次ですか?世界を熱狂させるスーパースターとかに…』
「いやハムスター。とっとこ走ってひまわりの種頬張っておいで。」
『そんなまさかああああ…むきゅむきゅ。』
となるかもしれない。

生きているうちにどこが自分の人生の目抜き通りなのかを探るには「こうじゃないよな」「あっちかもしれないな」という感覚に従い飛び込んでいくっきゃない。そうやって人や場所に愛し愛されながら歩める所を探るしかないのだと思う。


5-『最後の日から数えてみて』

人は誰しもが必ず最後の日を迎える。目抜き通りを歩いていても、裏道を歩いていても、いずれ銀座から出てしまうように。

裏道だけの人生も、目抜き通りだけの人生も、それはそれでとても魅力的なものになるのかもしれないが、せっかくだったら、裏道も目抜き通りも全てを味わい尽くしてみたいと思うのは欲張りだろうか。

猫背のまま歩んでいくのもいいけど、背筋をのばして堂々と歩んでいくのだっていい。

せっかくだから背筋を伸ばして目抜き通りを歩いていきたい。最後の日から数えてみたら、くよくよしている時間なんてないのかもしれない。

閃きもとんちも当てにされたいから、飛び出していこうと思う。

背筋伸ばして、目抜き通りへ。



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