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街歩きイズフリーダム。

街歩きが趣味である。

趣味という言葉の定義は「手段が目的にすりかわったこと」だと、田中泰延さんの本に書いてあって、膝をポンと打った。なるほど、この定義なら、街歩きは立派な趣味となる。

歩くとは、目的地までの移動手段だ。ええ!歩きが移動手段んん!?と思った方は、いますぐGoogleマップで経路検索してみてほしい。「車」「電車」に次いで、徒歩があるでしょうよ!ここにあるならメジャーな移動手段と言って、さしつかえないでしょうよ!

街歩きでは、歩くは「目的地への移動」という手段の側面を失い、ひたすらくり返される。これは手段が目的にすりかわったといえるだろう。今後、趣味は街歩きですと堂々と言いたい。


街歩きで何をするのかと問われれば、読んで字のごとくである。魚釣りが魚を釣ることであり、映画鑑賞が映画を鑑賞することであるのと同じように、街歩きは街を歩くことである。それ以上でもそれ以下でもない。特に写真も撮らなければ、食べ歩きもしない。

街歩きの鉄則として個人的に決めていることが「気になったら立ち止まる」「気になったら近づく」である。まちがっても、あとでネットで調べてみよう、近づく前にGoogleマップで調べようとしてはいけない。

なんだあの店!店先まで見に行こう。
なんだあの建物!下まで行ってみよう。
なんだあのオブジェ!近くまで行ってみよう。

街歩きの醍醐味は、この「自由さ」にある。ただ、思うままに、自由に行きたいところへ足を向ける。体力の持つ限り、どこへでも。膝が痛い。でも、動く。好奇心というパイロットは、わたしという機動戦士を止める気はないらしい。膝が痛いって。でも、いきまああああああああす。


街歩きこそ、自由を体現したものだと思う。スマホに「自由」と入力すると予測変換で絵文字が出てくるくらい自由の象徴となっている自由の女神の足もとには、切られた鎖がある。わたしも目的という鎖から解放されて、行きたいところに行ける。

車だとそうはいかない。気になるからと急停車や急発進をしたら、事故まっしぐらである。思いのままにギュンと曲がって、歩道に乗りあげるわけにもいかない。グランドセフトオートかよ。

歩くには「早くすすめる」「楽にすすめる」という利点はないが、「好きにすすめる」という自由がある。だから歩くが、わたしにとっては、いいのだ。


好きにすすんでいると、Googleマップ上では半径2センチほどでおさまってしまう範囲内でも、丸一日かかる謎と発見に満ちた探検になる。今日だけでGoogleマップに記録している行きたい場所、気になった場所のピンが30本たった。以前見つけて気になったラーメン屋さんを1本消化したばかりなのに、新たに30本増えた。供給過多である。やっぱり、世界は謎と発見に満ちている。

これだから、街歩きはやめられないのだ。

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