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1. さきのせかい の はじまり 。 出生の痛みと最古の記憶と不快感

80年代後半の秋
逆子でお尻から生まれた。

逆子がなおらないまま
予定日から9日遅れ
難産になる懸念から
風船療法など試みると 
すぐ陣痛がきて
逆子は1日かかることもある、覚悟して。
という注告に反して
スピード出産
看護師さんたちの歓声と拍手のなか
すぐに大声で泣き
医師から 奇跡やで!と言われたそう
へその緒が
首にS字に巻き付いていて
ぐるりと一回転させながら
取り上げたらしい。

産後1w検診で
首の斜頸・股関節脱臼を診断され
3ヶ月のとき
専門医にかかって
絶叫・号泣しながら
筋切術なる施術を受けて
治したそう

2歳上の兄が
この新たな存在を
受け入れられず
ベビーベッドで寝ているわたしに
硬いおもちゃを投げつける
などのジェラシー襲撃事件が
幾度かありつつも
健康に育つ。
歩き始めると
母の手をうざったそうに振り払っては
常にかってに一人で走っていき
発達が進むにつれ
こんやなーに?(これはなに?の意
と身の回りのあれこれを尋ね
なんでも自分でやりたがり
じんでやる、じんでやる! (自分でやる、の意
と主張する活発さ
そして ちょっとしたことでよく泣く姿が
目立ったらしい。

ここまでは
母親からさんざん話のネタに聞かされていたこと。

いちばん古い記憶は
2〜3歳のころ
日中過ごしていた保育園で
お昼ねの時間に
自分ひとり 目が覚めて
周囲を見ると
青みがかった薄い暗い部屋に
ずらり敷き詰められている幼児布団
遠くに
保育士さんたちのいる部屋から
光が漏れる
小さな窓ガラスが見えていて
あぁ 
自分だけ 
目が覚めてしまった。
この眺め 
これ なんだか怖い。
これは良くないこと。
と感じて
よくわからない悪夢を見たような
不安な気持ちで
布団に座っていたこと。

あとは
離乳食を食べさせられる時の記憶

母によって
スプーンと食べ物を
口に含まされると同時に
こっちのペースお構いなしに
スプーンだけ早々と引き抜かれるのだが
そのとき
上唇がめくれ上がるほどに
スプーンを急角度に上げられ
口腔の上顎
アーチの天井と上の歯の裏に
離乳食が
ざりりー
と引っかかるよう
一方的に
なすりつけられる動作と
そこから必然的に生まれる
口あたり悪しき摩擦・感触が
とんでもなく
不快だった。

(ちょ、やめて。
それ...
その
スプーン、上にあげながら抜くの
その your way
やめ
や め ろ !!!)


腹立たしく もどかしく
感じながらも
空腹から
なすがままに食していたこと。

食べるよろこびと、
食べさせられる悲しみ。
のような。
あれは
のちの人生における
言いようのない葛藤の萌芽だったか。


※この記憶は 
幼児期でなくて
子供時代に病気で看病などされている時だったかもしれない。
あるいは 
感触まで思い出せるほど
不快感がこびりついているので
子供に早く食べ終えさせるための
この 母の十八番は
乳幼児〜子供時代の病床まで
 断続的に続いてたということ

どちらかだと思う。



気づき
・出生時と乳児期に痛みを感じる経験があったことが、
外界への恐れや 刺激に対する敏感さを強めたかもしれない。

・管理や束縛・一方的に扱われることへの抵抗感があり
 なにかと主体的にやりたいタイプだった

・すでに母親との相性が良くなかった笑

・小学生のころは、自分の乳幼児期の様子を聞かされるたび
幼き日の自分を想像し
(なんとバカみたいでカッコ悪かったことだろう)

一瞬できまり悪さが込み上げ不快になっていた。
(なぜ、わざわざそんな弱小な存在だった頃の話を聞かされ辱めるのか?? やめてくれ。)
と反感を抱いたり
(そんなのこっちは覚えてない、そんなみっともない姿の記憶をそっちだけが握っているなんて卑怯だ!)
弱みを握られたような悔しさから
(その女児はわたしであってわたしじゃない。今のこのわたしとは無関係!)
と 心の中で必死に弁解していた。

親からすると 
あどけなく可愛いかった、面白かった、色々な出来事を見守ってきた、懐かしい。
といった趣旨で話していたのであろうが
私は
(その笑みはどういうつもり? バカにして!!)
という捉え方しかできなかった。
そして、こういった想いを全く言語化することができずに
ただ反射的に
「もうその話はやめて。」
という一言が口をついて出るばかりだった学童期を思うに

自分自身の 尋常でないほどの自意識の高さがしのばれ 
今更ながらうなる。

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