自己満足を極めるということ...


その人以外にはさほど重要ではないどころか逆に目障りや迷惑になることすらある。
しかし、当の本人にとっては、我々生きている人類一人一人が、生きる意味で究極に大事なこと。

もちろん、その人の能力や適応力にもよるかもしれないが、一体どんな幼少期を過ごしたのだろうか...

もちろん、元々の人格や才能、性質も多分にあるだろう。
そして、幼いころの環境は、その人の人格を形づくるためにとても重要な役割を果たしている。

フツーでは抑えきれない衝動があったり、
一般社会に適応できない息苦しさがあったり、

いつまでも、もがきつづける中年のオッサンだったり、実に様々だ。

人格障害はサイコパス、ソシオパスなど、いくつかに分類されるが、今回の狂気であった阿部サダヲが演じたのはサイコパスか、それともソシオパスだったのだろうか、それとも混合型?

私はソシオパスと考える、もしくは混合型
なぜなら、一般社会には恐ろしく適応しているどころか、人に好感を持たせてしまうから、
え、この人が?と思わせたるのがとても上手だったので、余計ゾッとした。
その時思ったことは、正直に言うと、
なにやってんの...汗
とこの一言しかでてこない。

そして、サダウォー演技うますぎだろぉ〜眼が怖いよぉ〜

友人?知人??から勧められた映画であり、
どうやらその友人はこの映画の監督の白石さん推しらしい。

確かに、描写もとても考えられて撮られているんだろうなぁ、と言うのは随所に見受けられた。と素人目にもとても目についた。

主人公の岡田くんが阿部サダウォの同僚に話を聞きに行ってる時、一件目の居酒屋?そして二件目の肉料理屋、そして最後、外で話を聞いてる時に、その同僚が重要証言をするのだが、
その時に、ちょいちょいクルマのヘッドライトが2人を?照し、いつクルマが突っ込んでくるんだろう?なんか今にも襲われそうだな、と何とも言えない恐怖を煽るのが秀逸だったとように思う。

そして、主人公の岡田くんががんばった、
洗脳されかけなくてすんだけど、

結局物語のキモがみえてくると同時に、
どないやねん、と色々ムリが見え始めたのは致し方ないのかもしれない。
まさか、それも狙っていたのだろうか、
主人公のファック相手が実は...
確かにそこに後々の伏線は隠されていたのだが、
行動がイキナリ過ぎて、笑っちゃいました。
雨の中、血まみれで帰ってきたらフツーひきますよ。

そして、徐々にあかされる真実...

岩ちゃんもいたが結局、ただの目眩しなのかなんなのか、

手口違うけど結局全部お前か

もっかいみたらまた違った視点になるのかもしれないが、二度みれるほど体力は残っていない。
よって却下。

ふう...

いやはや、壮大なオナニーであった。

まあ色んな人がいるよね〜。


今日もありがとう!またねー!


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