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砂時計が落ちるまで【3】

久しぶりに親友に逢いたくなりましたよ。
なにぶん、彼女は早いうちに先に逝ってしまったものですから。残された私がどれだけ悲しんだかは分かると思います。まるで夢を見ていたような気がして。もう10年経つのだから、人間の時間の感覚なんて、いい加減なものだな、と思います。

彼女と一緒に過ごした時間は、ほんの1年半ほどでしたが、その密度の濃さといったら相当なものでした。私たちは、お互いにお互いを救いあい、慰めあい、心の隙間の部分を埋め合わせあいました。お互いの存在を許し合いながら、時には厳しく叱咤しながら、それでも最後にはいつもふたりで笑い合う、一体どうして、私たちはこんなにも惹かれあうものなんだろうかと、ふたりで明け方まで語り合ったこともありました。

ある日、彼女は私に「居てくれてありがとう」と言って、そして勝手にひとりで逝ってしまいました。それは私のミスであり私の責任でもあったのですが…そのことは今は、 まあ、いいでしょう。

彼女がいなくなった埋め合わせはどうすればいいのか、私には分かりませんでした。同時に、彼女がどうしてひとりで逝ってしまったのかも、私には分かるような、分からないような、微妙な感情が入り混じっていました。いつか、こんなことが起こるのではないかと思っていた部分もあったのです。彼女は、いつだったか私に言ったことがあったんです。
「私がもしもいなくなったとしても、あんまり泣かないでね」と。
私はそんな冗談混じりの本音を真正面から受け止めることが出来ずに、笑って頷いて誤魔化したのです。そんな無責任な約束は出来やしないと。

実際にそのときが来た私は、ただ呆然とするしかなく、その後、泣きましたよ、勿論。声を上げて。だけど、 泣いたからと言って感情が落ち着きを取り戻すことなどはなく、私はただ、呆然と。正直あまりその頃の記憶ははっきりとしていません。多分、目を背けたり、逃げ回ったり、悲しみに飲まれたり。色々でした。
そんな私に、一番の薬を教えてくれた方がいました。

「時間という薬、時間薬というものが少しずつ、痛みを癒してくれるよ」と、その方はいいました。

馬鹿なことを、と私は突っ張ねました。時間が薬になるならば、誰一人として神に祈ることも、死を選ぶことも無くなるはずではないか、と。それでも、私には何も出来ることなどなかったのです。ただ、黙って時が過ぎるのをじっと見つめるだけしか。

10年経った今、時間薬というものは私を1日1日と、目に見えないゆっくりとした速度で癒してくれていたのだと思います。勿論、彼女に逢いたくなることもありますし、悔やむこともたくさんあります。
それでも私は残念ながら、生きています。
今はまだ、生きているのです。
どんなに胸が痛んだとしても、それが生きていることの証拠です。
彼女にいつかまた、出逢えるときが来るのかもしれません。そのときまで、時間は止まらずに過ぎて行くのでしょうね、きっと。




砂時計の白い砂は、全て落ちた。その人の話はそこで終わった。






『ご来場、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。』
何処か遠くから、そんなアナウンスの声が聞こえる気がした。その後、ほんの薄暗く、闇を照らす灯りが視界に映った。

「知己、ねぇ!帰るよってば!」
僕はびっくりして我に返った。僕の肩を強く叩く感触とその声は、ぼんやりしていた僕の意識をはっきりと目覚めさせた。
「大丈夫?寝てたの?」
深く椅子に腰掛けていた僕の目の前には、亜衣が顔を覗き込むように立ちふさがっていた。
「あれ…話は?終わったのか?」
まだぼんやりとしていた頭で僕がそう言うと、亜衣は怪訝そうに、
「何言ってるのよ?寝ぼけてるんじゃないの?もう。」
と言って僕の腕を強引に引っ張った。僕はそのまま椅子から立ち上がり、周りを見渡した。たくさんの椅子が並ぶ広い会場には、親子連れなどが多く出口へと歩いていた。所々から、子供の甲高い声が聞こえた。
「なんだ…夢だったのか…。」
僕がそう呟くと、
「やっぱり寝てたの?もう、プラネタリウムに行こうって知己から言い出したのに…寝ちゃったら意味ないでしょ?」
と、亜衣は不満そうに言った。
「ごめんごめん。何か最近、寝不足だったからさ。暗くなって安心して寝ちゃったんだな。」
「まったく…で、何の夢見てたの?」
「え?」
「今、『夢だったのか』って言ってたじゃない。何の夢見てたのかなって。」
「ああ…うん、何の夢かって言うと…。」
僕は亜衣の手を引いて、出口へとゆっくりと歩きながら言った。
「砂時計の砂が落ちる夢、だよ。」
「何それ?変なの。」
「うん、変な夢だった。まあ、夢なんて大抵は変なものだしね。それより亜衣。」
「何?」
「今日、夕飯どうする?もう夕方だけど。食べて帰る?」
外に出ると、日は西に傾いていて、その空の色は赤紫色に黄昏れていた。少し離れてうっすらと見える、月。
「あ、ごめん。今日ね、お母さんの誕生日だから家族みんなでご飯食べるの。」
「ふうん?それは目出度いね。今日って何日だっけ。」
僕は何気なく、そう亜衣に聞くと、
「今日?2月5日。」
と亜衣が答えた。そのとき、僕の時間が止まる気がした。まるで砂時計の砂が、全て落ちてしまったかのように。
「…2月5日、か。そうだった。」
そう呟いた僕を亜衣は不思議そうに見た。
「どうしたの?何か今日って知己、ちょっと変。何かあった?」
「いや、別に…まだ半分、寝ぼけてる感じなだけだよ。」
そう、そして僕は自分に失望してしまっただけだ。今日、2月5日という日を素通りしそうだったことに。

<to be continued>

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