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砂時計が落ちるまで【1】

飛行機雲が空に真っ直ぐな白いラインを引いていた。それに見とれている僕の目の前で、空はラインに沿って裂け目を入れた。青空に、暗闇の入り口。裂け目はどんどんと広がっていき、暗闇がどんどんと僕を飲み込もうとしていた。そんな気がして僕は早く逃げなければ、と周りを見回した。それでも、そこには何もない。足元も、身の回りも、何もないただの空間。

―僕は何処から来たんだろう、何処からだった?

そんなことを考えているうちに、空間はどんどんと暗闇に染まっていき、最後には僕の身の回りは全て真っ暗になった。

暗闇というのは、こんなにも怖いものなのだろうか。前も後ろも、上も下も、右も左も、何の感覚もなくなってしまう。ただ そこに、自分がぽつんと取り残されている、もしくは飲み込まれてしまっただけで。僕は前に進んだ。前、じゃないかもしれない。ただ、前だと思われる方向に足を出して歩いた。真っ暗闇の中では、歩いている感覚でさえ覚束ない。それでも僕は進んだ、それしか出来なかったからだ。

こんなときの人間の心理というのは、絶望してしまうのが正しいのだろうか。それならば僕は正しくない。何故だか、僕はこの事態でさえ、もしかしたら何かの道標が自分を引き寄せてくれるのではないか、という希望を心の隅に抱いていた。それが僕の些か楽観的な部分なんだろう。それは良くもあり、悪くもある。

何となく上、と思われる方向を僕は見上げた。すると、目を凝らしてみる。何かが満遍なく光っていた。

―ああ、そうか、星だ。星を見ていたんだ。

星は少々、遠慮しがちに光っていた気がする。その星の明かりの中に、いくつかの星座を判別しながら僕は深呼吸をした。そして、もう一度、前を向いた。そこには木製のふたつの椅子と小さなテーブルがあった。ひとつの椅子には顔のよく見えない、ひとりの人間が座って、じっと僕のほうを見つめていた。顔が、よく見えない。その人が男なのか女なのか、僕には分からなかった。僕は促されるまでもなく、空いている椅子に腰掛けた。間近で見ても、その人の顔はよく見えない。僕に向かって軽く頷いて、ニッコリと笑ったようだった。


「こんにちわ。おひとりですか?」
僕がそう聞くと、
「ええ、私はいつでもひとりなんです。」
と答えた。その声は女性のようでもあり、男性のようでもあった。
「何か、お探しで?」
そう聞かれた僕は、
「いや、そういう訳ではない、と思うんですけど。」
と、はっきりしない口調で言った。
「どうだろう?もしかしたらそうだったのかもしれないんですが…ちょっとよく思い出せない。僕はどうして何処からここにやって来たのか…でも不思議ですね、何となくここに来たことも当たり前のような気もする。」
「あなたがそう思うならば、そうなんでしょう。」
その人はそう言って、見えない笑顔で答えた。
「あなたは?どうしてここに?」
僕がそう聞くと、
「私ですか?さあ、どうしてだか私も分かりません。あなたと同じでしょう、ここに来ることが当たり前だからじゃないでしょうか。」
と、その人は答えた。
テーブルの上を見ると、そこにはいつの間にか、小さな砂時計が置いてあった。手の平に収まる大きさの砂時計。砂の色は白。僕とその人が向かい合う合間にあるテーブル、自然に僕とその人の視線は砂時計に注がれていた。
「この砂時計は、何分計れるんだろう?」
僕がそう呟くと、その人は静かに砂時計に手を伸ばした。
「この砂時計の時間は、その時間により様々ですよ。」
その人が言った。僕は言葉の意味が分からず、黙り込んだ。
「例えばあなたの時間を計るとするならば…あなたがあなたの話をしている間、この砂時計はずっと砂を落とし続けるんです。そうですね、あなたのお話が終わるまで。それまで、砂は無限に落ち続けます。」
「僕の話が終わるまで?」
「はい。あなたは此処に、あなたのお話をしに来たのですから。」
「それが、当たり前のことだと?」
その人は返事をせずにゆっくりと微笑んだ。僕は考える、僕が話さなくてはならない話を。
「時間が流れ始めますよ。」
そう言って、その人は砂時計を傾けた。
「さあ、話しましょう。この砂が落ちるのと同時に、あなたの話が始まるのですよ。語りべはあなたです。時間は流れ始めます。」
その人が砂時計を静かに逆さまにして、テーブルに置いた。

砂は落ち始める。僕の話が始まる。時間は、流れ始める。


<to be continued>

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