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さいか

喉を、胎を焼いたのがアルコールなのか、薬なのか、はたまたもっと別の、おれにお似合いの、真っ黒に澱んだ澱のようなもの、どろどろと醜い感情や、刃のような言葉、おれを見る目、憐れむような目、憐憫や軽蔑、あるいは、あるいは酷く熱を以た――例えば、似つかわしくないとさえ思う、そうだ、慈しみや愛、なんかの類なのか、おれは未だにわからずに居る。夢うつつの隙間、酩酊と覚醒の境、おれはそこに蹲って安い煙を吐き出している。胎を焼いて、胚を焼いて、咳をしては滲むもの、軋む骨、みっともなく細胞が憶えた感触を思い出して、手に入るだけの甘さを体内に乱暴に詰め込んで、そうして、仕合わせと不仕合せの境界を行き来する、否、仕合わせなどない、幸せなど感じてはならない、おれは精々、不幸せのなかでしか生きられない、不幸せに頭から漬かった憐憫がいっとう心地がいい、幸福では文学など生れない、不幸せで無ければ、不幸せでなければおれは、おれにいったいなんの価値があると言うのか。不幸せはいっとう甘い。不幸せを幸せと錯覚して浸かりきっているおのれが酷く浅ましく、憎く、可愛そうで、愛おしい。誰の愛よりも、おのれの、おのれへの愛がいっとう狂おしい。愛がわからないから、自己愛は真似事である。憎い、愛おしい、ほんとうの愛を、ほんとうにおれを愛し、ほんとうに誰かを愛せたなら、それはどんなにか幸福だろうか。おれには愛がわからねえ。真似事は所詮真似事である。仕合わせの真似事は不仕合せである。そうすることでしか生きては居れなかったのだ、ものを書けないおれは、もはや意義などなかったのだ、ねえ君、君よ!きみの言葉がほんとうであるなら、どうしたって不仕合せに焦がれ好いて留まってしまうおれを、どこかへ引っ張っていってくれまいか、生きようが死のうが地獄、生きようが死のうが幸福の渦。雨が叩く。きみは鼻歌を歌っている。おれは、しあわせになるのである。


――20230619、桜桃忌に寄せて、私的拡大解釈

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