無我の境地がリーダーには必要?
ときどき、自分自身のために、そして誰か自分と同じような境遇の人の役に立てればと思い、ふりかえりの記録を残すことにします。
自分のことはさておき配慮する大切さ
何かを懸命に推進しようとして、進めることに集中するあまりに、メンバーの心情や個性に対する配慮ができていなかったなと反省することがある。自分はそんなつもりがなくても、相手が周囲がどう受け取ったかが大事なのであって、それが結果なのだと思う。
自分は完璧な人間ではないと自分自身を認めることができれば、指摘されたりフィードバックをもらうことに対して気分を害することは無い。客観的に自分に足りないところや、反省すべきところが見つけられたと考えられる。
ましてや、思っていることを言葉に出して伝えてもらえることは、とても有難いことだ。これは決して当たり前のことじゃない。それは相手が上司であってもメンバーであっても他の同僚であっても家族であっても友人であっても。だから感謝するべきなのだ。
幸いうちの会社はお互いに思っていることや感じていることを率直に言っても大丈夫な風土がある。とにもかくにも、メンバーの皆さんには感謝しかない。
主役は自分ではないという感覚
経営したり、事業を推進したり、何かの目標を目指したりするとき。リーダーやマネージャーは目的を達成できたとしても、個々のメンバーの協働とがんばりのおかげで業績を達成したり、目的を成し遂げたりしたのであって、手柄はメンバーのものだ。それは間違いない。ただただ目的の達成のために、導き支援することは行ったとしても、自分が主役では無い。ここの捉え方って結構大事なことだと思う。
ミッションをコンプリートできた。
目的を成し遂げた。
とことん成果が出た。
主役は自分以外のメンバーであり、そして価値を受け取ったお客様やユーザであり、もしかしたらすべてのステークホルダーかもしれない。
社会や周囲への価値を提供できたという事実そのものに何よりも喜びを感じることができる状態が理想。
「無我無私」「利他の精神」っていうのは、そういうことなんだろうな。
それでもやり切る自信、やる気の源泉を持つ
フィードバックに対して、無駄に落ち込む必要もないし、それを踏まえていかに前に進むかということが大事なのだ。
レジリエンス(立ち直り回復する力)もさることながら、自分なら大丈夫だと思える効力感、そして得られた経験からいくつもの道筋を想像ができ、自分自身のブレない意志・軸を確固たるものにしていく。これまさしく心理的資本®だなと。
大切なのは「無我無私」を体現したうえで本気で夢を語ることができるかどうか、なのかもしれないな。
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