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蕾で居る花

「沖縄が琉球だったときには、咲いた花を愛でるという美意識は人々の中になかったのではないか」

という説がある。
それは、八八八六でうたわれる琉歌という定型詩(日本における短歌のようなもの)を研究していくと、そのようなことが言えるのだという。

鮮やかな色の花びらがその生命力を総動員して開き、天を向いているさま、にあたしたちは「美しさ」を感じることができる。思わずレンズを向け、シャッターを押す人もいるだろう。

では、花開く前の「つぼみ」はどうか。
ただ緑色のがく片が花びらを包んでいる状態だが、その中には、おそらく華やかで彩ある、いわゆる「美しい」花びらを秘めている。

今にも開かんと膨らんだその姿に、その時代、琉球の人々は生命力を見出し、「美しさ」を味わったのだという。花はひとたび開いてしまえば、あとは時間とともに枯れてゆく。花が開く直前の、はち切れんばかりの「つぼみ」が持つ勢いや力を尊んだのだ。


これに同じく、「完全の一歩手前」の例は、十三夜や逆柱にも見ることができる。

さて、この「完全の一歩手前」を人の生きる道の中に見てみようとする。自分の人生について見てみようとする。

人生の中の頂点とはいつか?何か?

はたと、首を傾げても、容易に言語化できない問いである。

まだ何者でもないあたし
まだ何事も成していないあたし
さぁ、どこへ どうやって向かおう

今日ぬ誇らしゃや
何をじゃなたてぃる
蕾で居る花の
露たちゃぐとぅ

「つぼみ」でいるあたしの、
まだ露が付いたままの身で、

それを決して「誇らしい」「美しい」など言えないけれど、まなざしをひたすらに未来に向けることしかできない。

根から養分を、
葉から日光を、

得ては蓄え 得ては蓄え
花開くときを待ちわびて。


#日記 #写真 #沖縄 #琉球 #琉歌 #遅咲き #ひまわり

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