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「推しは推せる時に推せ」の理由を私なりに考えてみた

自分にとって心を満たす存在。
考えるだけで幸せな気持ちになれる。

私にとってはそれが「推し」である。
それは人であったり物であったりする。


※「推し」についての概念は人それぞれなので、あくまでも私の解釈。予めご了承願います。







もはや名言になりつつある、タイトルにある
「推しは推せる時に推せ」
何の話だって感じだろう。
私も最初は意味が分からなかった。

最近になってようやく私なりに意味が分かってきたので、備忘録として記す。

1.推しの問題。

推しはいつまでいるか分からない。保証はないのだ。
それこそ突然のさよならもなくもない。
あらゆる意味で。

無情な話だが、
推したくても推せなくなる時は必ずやってくる。

私自身何度か経験し、身を切られる思いだった。



「いつまでもある(いる)と思うな推しと金」

これも私の中でちょっとした名言である。

2.自身の問題

私はどっちかと言えばこちらの方が意味合いが強い。

推しはいる。
だが、推せない。
全く心が動かなくなった。
無感情状態。

私は何年かその状態が続いた。
メンタルを崩した時だった。
場合によってはそこで「推し」と出会い支えになった。とかもあるだろう。
私は逆だった。

あまりにもボロボロでとても推し活出来る状態ではなかった。ただ日々生きるだけで必死で。
気持ちの余裕が全くなかったのも大きい。
楽しかったことが全く楽しめなくなる。
まさにそれだった。それも辛かった。
枯渇状態。

体調を整えだしたら、少しずつだが戻ってきた感がある。今はまた推し活を再開した。

結論。

先のことは誰にもわからない。
だからこそ、その「今」を大事にする。
「推しに惜しみなく推す」とも言われるが、まさにその通り。

伝えたい熱い思いがあるなら、伝えた方がいい。

いつかは来ない。

たった一言で救われる、励みになる人も間違いなくいるのだから。


だが、自分の生活を、身体を崩すようなことはNGである。

無理なく出来る範囲で楽しい推しライフを過ごしていきたい。


そのサポートが励みに力になります。1杯のコーヒーが飲める幸せを実感出来ます☺️