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手放して少し自分らしく生きられたかなと思えた話

今年に入ってから、自分の中で意識するようになったこと。

アレ?なんかこれって?

違和感について。

特に意識したのは人間関係。

仕事もプライベートも含めて、何かひっかかったら逃さないで、まず立ち止まること。

そして少し考え、問いかける。

どんな気持ち?

もちろん一過性のものならそれでいい。
だが、ずっと澱のように自分の中で、離れないものも間違いなくある時。
それは少し離れ、距離を置いた方がいい時だと思う。

(明らかに自分に危害が及ぶ以外を除き)
すぐに関係性をリセットはしないと決めた。


具体的には連絡頻度、やたらと追いかけない、考えない。

以前ならばもう、無理!とすぐ整理することが多かった。

人間関係がうまくいかない時は
自分に原因はもちろんある。

だが、それは半分。

半分は相手の事情でもある。

それは私にはどうすることも出来ないのだ。

そこで無理をして相手の機嫌伺って、望む言葉探して常に迎合して…が、今までの私のパターンだった。全部抱え込もうとしていた。

それをやめた。

気になったこと、なるべく伝えるようにした。

基本的に対等な関係性でいたいから。
それが私なりの誠実の証。

結果的には離れた人もいた。

一方的にショックだったと言葉も投げつけられた。

寂しさもあった。伝えなければ良かったのかもしれないとも思った。

ああ、ずっと私の何を見ていたのかなと思った。
期待に応えられず、失望されたのだろう。

でもこれが私だから仕方ない。

自分はいつだってどこか孤独を抱えて、
それを満たすには自分を偽らないとダメだと
勝手に思っていた。

不完全過ぎる自分を誰も受け入れてくれないと。

もちろん状況によって、自分を作ることは生きる上でも必要だ。いわゆる仮面とか鎧。
けど、私の場合は常にそれを被っていた。外すことも忘れるくらい。
もう嫌だった。
誰かを喜ばせる為に存在してる訳じゃない。

そんな中でも、離れない人もいたのもまた事実だし、新たに受け入れてくれた人もいた。

環境が、関わる人が変われば確実に何が変わる。

たまたま合わなかった。
多分それに尽きる。
相性というのもあるだろう。

後は互いに尊重出来る関係であること。
一方的だけだと、どこかで歪みが生じ大抵長くは続かない。

相手に期待をしない。
見返りを求めない。

私の中のモヤモヤの根源は主にこの二つ。

無論手放すのは完全には難しい。
が、これを意識したらだいぶ楽になった。

私は私らしくあればいい。

何度も言い聞かせてはいるが、まだ受け入れらず葛藤している自分がいる。

私らしくって何?

そういうのも含めて、自身に問いかけていけばいい。答えはすぐ出さなくてもいい。

ここまで来るのに数十年の時はかかった。
気づくのは遅い方だろう。
だが、きっと遅すぎることはない。

気づいたら時から変われるから。

それでいい。ゆっくりゆっくり。