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気になった、忘れたくないノートを集めています。
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2020年2月の記事一覧

強すぎる正義は凶器になる☆

訪問をありがとうございます。 ここ最近、ボランティアや地域活動団体の取材をまとめているのですが、まぁー、これが実に地味で時間がかかる作業です。 そして、それ以上に楽しく気持ちを明るくしてくれる作業であることに気づき、改めて人の持つ力の影響力というものを考える機会をもらいました。 ありがたいことです☆ さて、今日は『正義』なるものについて考えを書いてみます。 様々な事象が起きた時、それに対して何らかの感情や考えを持ちます。 その時、『自分の感情や考えは絶対だ!』と思

盲信とクラスタ

ちょうど朝茂木さんが超弩級の有名人でも、今の中高生は知らないという話をされていたことも関連していて、昨日いかにして人は盲信を始めるかということについて考えていた。人間は多かれ少なかれ思い込んでいてそれを自分で気づいていない。ただそれでも盲信の一線というものがある。 人間はいつバランスを崩すのか。盲信と呼ばれる状態に入るのはどのあたりなのか。また、それを自分では気づかないのはなぜなのか。私はその一つの例として、普段一緒にいる人間の考えの偏りが影響しているのではないかと思ってい

医療者の専門性は“評価・判断”から、“インスピレーション・スポットライト”へ!? オランダで見たこと、気づいたこと #ポジティヴヘルス

地域に健康な人が増えるために、医療者は何をするべきか 健診に引っかかった多くの人に説教をする 再検査をして、薬を出す 定期的に薬を取りに来れない人に文句を言う 結局合併症でこんなはずじゃなかったと言う患者を励ます そんな風な毎日を、現場の医者は送っていないだろうか?その活動は、地域に健康な人を増やしているのだろうか? ポジティヴヘルス発祥の地、オランダではどのように扱われているのか見てきた。 ポジティヴヘルスセンター視察とインタビュー オランダには、複数のクリニッ

ポジティヴヘルス〜対話の実践〜

ポジティヴヘルス、は新しい健康の考え方。定義、というよりはコンセプト。 ポジティヴヘルスでは、健康になるために必要なのは 専門職による評価、ではなく、本人主導の対話、だとされている。 その対話を促すためのツールがある。 それがこれ。 クモの巣、とかスパイダーネット、と呼ばれる。 一見して、6項目の評価ツールだとわかると思う。 これを、本人が記載する。 じっくり考えながらでも、直感的にでも良い。 書きあがったら、眺めてみて、自分でどう思うか。 良いな、と思うか。ここがもう

健康は“状態”でなく“能力”なのだ。ポジティヴヘルス。

病気や障害を持っているからといって、不健康なわけではない。病気や障害を持っていても、不幸とは限らない。 医学部で習ったような気がしていた 「病気や障害がない状態が、健康」という基本は、 地域や在宅で医療をやっていると、 それが真実ではない、ことに気づく。 「おうちパワー」なんです!とか、 心身二元論では、人の健康や幸せは表現できません、とか、 あげくはBeHappy!です、とか そんな言葉を使っては 生物医学的なアプローチだけでは、 人が生きる現場や、人生という複雑なも

素直さと当事者意識

当事者意識と素直さに関係があるのでは、というご意見があった。確かにイエスマンは、極論するとアイヒマンのように、責任回避のために何も決めず無批判でいるようなイメージがある。一方素直な人間はそこになんらかの意図があるように見える。しかし意図があることと素直さはバランスするのか。 私なりの整理では、 「当事者意識=自分には結果に対し責任がある+自分には影響を与える力がある」 だ。まず、結果に対し責任を感じていないと当事者になる気を持たない。また、その結果に対し自分は影響を与え

「メンタルケアの基本は呼吸法にある」 臨床心理士への随録 心理学

この前ひさしぶりに人前で話をする機会があり、袖で自分の出番を待っている間にもの凄く緊張してきて、心臓がバクバク高鳴りしたんです。「いつ試すの?今でしょ(古い)」とばかりに漸進的筋弛緩法を実践してみたら、本当にすぐに収まったんですよね。びっくりしました。 漸進的筋弛緩法とはジェイコブソンが開発したリラクセーション法で、体の一部の筋肉を一旦緊張させた後に一気に弛緩させ、その筋感覚を感じ取ることで更に深く弛緩させることを目的とします。振り子の原理です。ある事象に対して生じた右に振

素直な人とイエスマンは何が違うのか

素直であることと、ただのイエスマンの違いがわからないという質問がありました。 これは確かに微妙なところで、素直さはただの従順さになりえます。また教える側も、実際には相手を従順にさせコントロールする為に素直になれと言っていることもあるかもしれません。では、違いはどこにあるのでしょうか。 私は、素直であるということは行いながら感じているということだとしています。一方ただのイエスマンは無感覚、または感覚を抑え込んでいます。 例えばインタビューがわかりやすいでしょう。事前に質問を幾

説明と、納得と、限界と

昨日の話で、宮城さんがもしワックスの拭き取りの効果を事前に説明していたらどうだったろうかという質問があった。確かに事前に反復する行為の具体的な意味を知っておくと、本人にしても意識をしやすい。具体的な技術の使用イメージがあれば、より習得も早まるし正確に覚えられる。 本人が理解できるなら説明してからトレーニングを行うに越したことはない。だから基本は常に指導者は聞かれれば答えられなければならない。ただ、人間は全容を知らないとき納得ができるのだろうか。例えば体験した人には分かるが、

理系とそれ以外の世界の教育観

教育には将来食っていけるスキルを身につけるという目的がある。私はあまりこの方向を強めすぎるとただの職業訓練所になりはしないかと懸念はするが、それでも大事な目的の一つだ。将来必要なことは何かを議論する中で、理系の人生とそれ以外の人生では、教育観が異なっているのではないかと疑問を持った。 私の人生は理系も文系もないだろうという世界だったが、一応は文系に属するのだろうと思う。私も含め周辺も昔とは社会は変わってしまったと感じている。この変化の激しい時代に一体どのような教育を選べばい

哲学的であること、考えすぎていること

哲学的であるということと、考えすぎているということの境目はどこにあるのでしょうか。前者は深くなっていきますが、後者はこじれていきます。哲学的であれば何かを理解するために考えますが、考え過ぎていれば悩むために考えます。決めようとせず考え続けることに心地よさを覚えるかどうか。疑問に興奮する人間は哲学的です。 考えすぎている人は疑問が投げかけられた時に浮かない表情をします。疑問に対しおもしろいですねという答えは返しません。いや、でもと繰り返します。なぜならば考え過ぎている人は、本

怒る指導者

なぜスポーツの現場で指導者は怒るのか。人間がなぜ怒るのかを考えてみると、思うようにならないという能動的な怒り、攻撃されていることへの防御としての怒り、があるように思う。ここに先生と生徒という関係性が入り、スポーツ現場で怒る文化が生まれているのではないか。 まず日本のスポーツ現場の背景に三つの特殊性がある。一人で大人数の生徒を見ることが多いこと。技能向上と勝利が求められているということ。各セクションが短期間だということ。短期間で大人数の技能を引き上げるなら、強制的にやらざるを

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パニック障害の妻に夫の僕が出来るコト

子育て戦略

今、家庭内で子育て戦略を立てている。とは言っても本人がどうなりたいかが結局全てなので、さほどこちらでできることはないが、議論をしていくうちに自分の中に二つの軸があることがわかってきた。一つは自分の深掘りで、もう一つは広い知見を手に入れることだ。没頭とメタと言ってもいいかもしれない。 今、社会は激動の時代を迎えている。教育は常に時代を先読みして将来必要だと思われるスキルを子供たちに教えてきた。私たちの頃はパソコンが授業で導入された。今は英語やプログラミング。しかし、誰も未来の