10年経って気づいた母の優しさを受け継いでいる

節分の今日、いつも行くスーパーでたっぷり並んだ恵方巻をよくよく吟味して、3種類ほど買い物カゴに入れた。

「夜ご飯に恵方巻を買ったよ」
帰り道、ささやかな楽しみをLINEに乗せて夫に送る。

帰宅して台所に立った私は、潔く恵方巻を切り分けた。

本来は、一本丸々、がぶっといただくのが正しい食べ方であるけれど、こっちの方が食べやすいからそうするのだ。母も昔、そうしていたように。

反抗期というものが当たり前のように私にもあって、親がすること全部に文句を言っていた時期がある。ちょうど高校一年生くらいの頃。今でもふと思い出しては、小さな後悔が胸をつつく。

ある年の節分の日に、恵方巻が綺麗に切り分けられて食卓に並んだのを見て、私はわざと大きなため息をついた。

「ねえ、恵方巻って丸々食べないと意味ないんだよ。何で切っちゃうかな、切ったのなんて要らないからね」

そう言って、母が手作りした恵方巻をいとも簡単に切り捨てた。


こんな時、何倍もの鋭利な言葉でガツンと叱られていたらまだ良かったのかもしれない。

「あ、そうなの、丸々食べたかったのね、ごめんね切っちゃって。こっちの方が食べやすいと思ったの」

母はいつだってそうだ。たまに心配になるくらい、まっすぐで柔らかい。母が誰かに悪態をついたり、乱暴な言葉遣いをしたりするのを、私は一度だって見たことがない。

我がまま娘の言動だって、まっすぐ受け止めてくれる人。だから、今になって余計に反省しているのだ。母の無償の優しさに甘えて、時には傷つけていたかもしれない、幼かった私の無神経な言動を。

今なら母の気遣いも、優しさも全部、もっともっと有り難く受け止められるのに。

家を出て10年も経ってからじゃ遅いよね。

今月末の母の誕生日に合わせて、ささやかなお花を予約した。

3人の子どもが家を出て、ようやくゆっくり新聞が読めると電話で笑う母に宛てて。

そして今晩、夫との食卓には、切り分けられた恵方巻が並ぶのだ。




美味しいおやつを食べたい🍪🍡🧁