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仙人仙女の『胎息』は不老不死の呼吸法~01

『胎息』という呼吸があります。この世に生まれて来る前のおなかの赤ちゃんがしている呼吸です。

他の場所でもこの『胎息』をやっている人たちがいます。それは不老不死の身体を求める仙人や仙女たちです。

『胎息』とは鼻・口・肺は使っていない呼吸をいいます。

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なぜ鼻・口・肺を使わない呼吸をするのかというと「酸素とは別のもの」を身体の中に取り入れることが出来るからです。

地球の生命力の根源である「気」というエネルギーというものです。「気」のエネルギーがあれば仙人仙女の不老不死になれるというからです。

し  ら  の  ゆ  き  ひ  と

胎息は不老不死~

『胎息』を体感してみましょう。シンプルな「胎息のポーズ」という両腕で輪を作る姿勢をいたします。

そのまま何もしないで静かにしていましょう。鼻・口・肺は使いません。おなか(胎)が呼吸(息)するのを待っていましょう。

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空気に含まれている「気」のエネルギーが微粒子となっておなかの中に「自然気圧」となって浸透してまいります。

がんばって本物の仙人仙女の不老不死にまでならなくても「気」のエネルギーを身体にとり入れて「若返り」しながら生きてゆくのもよいかと思います。

おなかの赤ちゃんはものすごく効率的な呼吸法をしています。なにしろ鼻・口・肺なんかは使わないで「へその緒1本」だけに全意識を集中させて自分が生きるための養分を釣り上げている、呼吸法のプロなのです。達人です。

『胎息』とは鼻・口・肺を使わない呼吸法であると本場の中国道教でも定義しています。それはつまり鼻・口・肺を通さずに「直接おなかが息をするようになってね」ということです。

もうコチラの世界に生まれて落ちて来てしまったオトナたちは、鼻・口・肺を使って外界の酸素を取り入れておりますが、しかしその程度では自分が生きる分のエネルギーを蓄えて充電出来るほどのエネルギー量は取り込められません。もっと密度のあるエネルギーが欲しいところです。

もうコチラの世界に生まれ出て来たからには「後は死ぬだけ」ですからね。過充電するくらいに呼吸が出来て元気いっぱいになれるほどの生命力などは酸素だけの呼吸では取り込めません。微かでつましい呼吸で生きている日々なのです。

しかしおなかの赤ちゃんは「これから先は生きるだけ」という未来に向かう呼吸をしています。これが『胎息』です。

おなかの赤ちゃんの場合、厳密にいうと「呼吸」というよりは「息」なのですね。呼吸というのは鼻・口・肺を用いて酸素を取り入れて二酸化炭素を出すというという交互循環式です。吸って吐いて。吐いて吸ってという。だから「呼と吸」なのです。

おなかの赤ちゃんはそんなことやっていません。「へその緒1本」でおなかの中で守られながら養分を自分の中に取り込んでいるのです。

これはこの世に例えると何に似ているのかな?と考えると、電車の屋根に付いているパンタグラフでしょうか。送電線に送られてくるデンキをパンタグラフで触れて取り込んで電車を動かすために使われています。

あるいは携帯電話に急速充電するケーブルでしょうか。「へその緒1本」だけでおなかの赤ちゃんは母親の胎内でエネルギーを釣り上げているのです。素晴らしいのであります。

呼吸法業界の元祖のような存在の中国道教は、この呼吸システムに『胎息』とネーミングして、生命エネルギーについて研究をしてきました。この効率の良さをコチラの世界でも転用できないだろうかと。

それをコチラの世界に生まれ落ちて「生・老・病・死」に悩む者たちにやらせてあげられれば、悩みも無くなるし不老不死も夢じゃない。若返りなんかも夢じゃないと。

確かにコチラの世の中で生きてゆくのはいいけれど、年を取って老いぼれていったり動けなくなったりしてまで生きてゆくことは、嫌だ。これは「仕方ない」だけでは済ませたくない。ナントカして若返りや不老不死などは出来ないものだろうか?考えました。

「生・老・病・死」に悩んできたのはお釈迦さまだけでなく、中国道教でも悩んでいたのです。仏教と違って中国道教では「呼吸法という技法」を確立させて来て、それをマスターした人が仙人仙女という存在なのです。

昔々の先人たちは「生きることは息をすること」ということを見抜いていました。しかし鼻・口・肺なんかを使っている「凡息(凡人の浅い呼吸)」なんかでは、老いて生きてゆくことにすら間に合わないのです。

鼻・口・肺なんかの呼吸レベルでは1回吸って1回吐いてそれで終わり。これはまるで安い月給で1カ月を貧乏な生活を送ることすら出来ないギリギリな生活に似ています。肺で吸って心臓とつながって血管を通じて身体を一周するだけで精一杯の呼吸なんかではダメだと。

なんとかこの世で「若返る・老けない・病気にならない・死なない」ということが出来ないものだろうか?これはお釈迦さまの悩みの根本でもありましたね。

まあ、これらの疑問を、即答一発で良い答として出すとしたら、それは「この世に生まれて来ないことだった。」というあたりでしょうか?

そんなこと言っても、もう生まれて来てしまってますからね。そのような実行不可能な答えなんかではまわりを納得させてはいけませんよ。

とかなんとか考えて、素晴らしい洞察力で生きる悩みの根源を見抜き、理論的には世界最高峰の呼吸法が発見されたそうです。それがなんと『胎息』というものなのでありました。おなかの赤ちゃんのしている『胎息』です。この世にはもうこれ以上の呼吸は無いと言われております。

素晴らしいことにこの世に生まれ出て来たオトナたちは、全員が『胎息』を経験しています。もちろん母胎の中でですよ。しかしもうお忘れになってしまったでしょ?どなたか覚えています?おなかの中でしてきた『胎息』を。

どこかに胎内記憶保持者の人がいたとして「わたし覚えてますっ」と言ったって、しかしもう「へその緒1本」はもう切られてしまって付いてはいませんし、仮に記憶通りにやったところで身体は胎盤から外されてしまっていますから、養分の元となるものも無いわけですよ。

それで同じ『胎息』と言われているもうひとつの流派であります仙人と仙女のおこなう不老不死仕様の『胎息』です。こちらの『胎息』は赤ちゃんのしているのとはまた違うものです。

それは、中国道教のお得意であります「気」の思想と絡み合わせた『胎息』なのです。「気」を取り入れるために鼻・口・肺を使わない呼吸の技法を確立させたと思うのです。

『胎息』を検索してみました。一部省略要約しました。

たいそく 【胎息】
道教の修行法のひとつ。仙人や仙女になるために必要な呼吸法。鼻・口・肺を使わず、子供が胎内にいるときと同じように呼吸をする方法。これによ疾病を治し、長生を得ることができる、とする。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア』)

そして、中国と言えば「気」の国ですが、この『胎息』だって「気」というものを用いて練ってゆくに違いありません。「気」を練ることだって呼吸法を用いますが、それよりも大切なことは「想像力」の方です。つまりイメージのことです。「有る」と思い込むことからすべてが始まりますよ。

この想像力を用いていろいろなことをすることを道教では「存思(そんし)」といいます。

『存思』を検索してみました。一部省略要約しました。

そんし 【存思】
存思は、道教の瞑想法のこと。仏教の禅のような悟りを得るための無念観想の法ではなく、体内に観想(イメージ)を集中させることによって、修法者の身体の一部に宿る「気」や「神(しん・人間の根本的な意識活動)」を活性化させたり「気」が身体から離れないよう体内に留めさせるための法である。「気」は大地や天体や自分の身体だけでなく、神々も「気」でできていると思い念じることで自分の身体に宿っている「神」を現出させる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア』)

いかがでしょうか?この「想像力(存思)」を用いて、まだ「無い」ものを「有る」と思える感じるくらいにまでに持ってゆくトレーニングというのはまさしく「魔法」の世界です。その根底にはやはり「気」の思想というものがあります。

考えてみれば、本家本元のおなかの赤ちゃんがしている『胎息』と、道教で説いている『胎息』とでは違うものです。あたりまえですが。

しっかり我が身に現物として「へその緒1本」を付けて『胎息』をしている本家本元と、すでにコチラに生まれ落ちてしまった俗人がしている『胎息』が同じはずはありません。これはもう本当なら、真似することすら許されないレベルの差です。

しかしそこはオトナの深知恵の「想像力」を用いて俗人のための『胎息』を確立させようではないか?というのが道教側の言い分だと思えるのです。

こちらには決して真似の出来ない秘伝の技だってあるんだよと言いながら、有難そうな教えを説くわけですね。

悩み迷う人々を相手に、この世で少しでも「若返る・老けない・病気にならない・死なない」世界に行きませんか?と人々を誘います。なにしろ、すべてを「想像力」で何とかしてしまう呼吸法業界です。

そもそもおなかの赤ちゃんは『胎息』の本家本元ですから、そんな想像力なんか使ってなんかいませんし必要も無いわけです。「へその緒1本」という現物だけで生きているのです。

しかしコチラの世界に棲んでしまっているオトナたちは想像力を駆使してがんばっております。もしかして本家を超えられるかもしれません。中国何千年の智慧がこちらにはあるんだよ。魔法やら呪術やら漢方薬だってあるんだよ!と。

そのようなオトナの底力もすべて「気」の思想があるからです。そのような「気」ですら、想像力が無いと「気」を使えるようにはなりません。それでこの note のページでも、「気」とか「想像力」とかを用いた形で『胎息』ををコチラ仕様で使えるように書いてゆきたいのです。

本家おなかの赤ちゃんが「へその緒1本」で生きているのならば、こちらも想像力で「全身をへその緒」にして、全身がアンテナのようなセンサーのように、両腕両脚・胴体頭頂部・その他の五感もフルに使って、地球全体から「気」のエネルギーをおなかのあたりに吸収するというイメージを使うことにいたします。

「想像力?」なんといって笑ってはいけません。「気」を用いた想像力が強化されてゆけば、それはやがてリアルな実在感覚にまでなってゆくのです。

想像力で作った「全身をへその緒」にして、この地球全体を母胎(マザーアース)と見立てて、まわりの空間や地中や空気の中から「気」のエネルギーを身体の中に養分として吸い寄せるということです。

だいじょうぶです。今から始めても遅くありません。これは「全身をへその緒」にしておこなう『オトナの胎息』です。イメージのチカラで、不老不死まではいかなくても、せめてもの日々のエネルギーの急速充電くらいはしてゆくのででございます。

本日も とてもよくできました!
また次回も お楽しみに!

し ら の ゆ き ひ と

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