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もうピアノを弾けないんやなあ

床に残る白い跡。

27年間そこにあったピアノが、とうとういなくなってしまった。
アップライトの小型のピアノだけど、そこにないというのが、
こんなにも寂しいなんて。

と、もの悲し気に書いてしまったけど、そんなに弾きまくってたわけではない。
時々、ふと思い出したように弾く程度。
ピアノの音が好きで、つっかえつっかえの技術だけど、それでも
夢中になれる時間。
私って、ピアノを弾くのが好きやってんなあって、毎回思い出させてもらってた。

それやったら、なんであんなに練習が嫌やってんやろうなあ。

5歳のころから習い始めたピアノ。
当時、ピアノを習うことは、かなりのスタンダード。
あとは、習字にそろばん。
小学校にあがるころには、みんな、たいていどれかは習ってたんとちゃうかなあ。
今みたいに、いろんな習い事はなかったから、習いごとの教室に行ったら、友達にいっぱい会うし、学校の延長みたいやった。

それでも、5歳でピアノってのは、少なかったかな。
別に、英才教育を仕込まれそうになったわけではなく、ただただ、ピアノが弾きたかった。
で、近くに住む若夫婦の奥さんが、どうやらピアノを弾けるらしいって情報を母がつかんできて、自分で交渉してこいと、一人でその家に向かわされた。
わずか5歳。
初めて訪れるその家のドアの前で、ドキドキしてたのはなんとなく覚えてる。
ちょっと洒落た洋風のおうちだったので、余計に緊張したなあ。
そこは、ピアノ教室でもなんでもないのに、いきなり、たのもうと言って乗り込んでいった5歳児。
だいたい、5歳の子にそんなことをさせるか?
させるんやな。
それが。
うちの母は。
その無謀さが受けたのかどうなのか、そこから生徒一人のピアノ教室がスタートした。
かわいらしいその先生は、合格すると、シールを貼らせてくれる。
そのシールが、とっても可愛くて、近所の文房具屋さんでは、絶対に手に入らないようなものやった。
うれしかったなあ。
その頃は、まだそんなに曲が難しくなかったから、それなりに練習はしていたように思う。

そうこうするうちに、いつしか、生徒は4人に増え、ピアノの発表会を開いてもらったりした。
いつもの先生の家なのに、発表会の時は、扉を開けて、お辞儀をしてから入室をしなくちゃならない。
なんか、気恥ずかしくて、でも、ちょっと嬉しくて、その時の部屋の雰囲気は、今でも覚えてる。


その後は、いろんな先生に習ってきた。
やさしい先生。厳しい先生。すぐに合格させてくれる先生。面白い先生。

ある先生が使っているシャーペンを、私がとても気に入り、レッスンのたびに、触らせてもらっていたところ、その先生がお辞めになる時に、同じ種類のシャーペンをプレゼントしてくださったことがあった。
ぐふふふふって、よく笑う先生やったから、なんか好きやった。
その先生から渡された発表会の曲は、"  流浪の民  "という曲やった。
「”  流浪の民  "って、なんかぴったりの感じやろ。ぐふふふふふ。」
そう言って、楽譜を渡されたのを、今でも覚えてる。
当時は、ぐふふふふふの意味がわからず、????のままに、曲の練習をしていた。
今になっても、????は消えず、どこがぴったりやったんやろなあ。

他には、いつも、真っ白の顔で、ふりふりのお洋服を着ている先生もいた。
ふりふりだけでなく、すけすけの時もあり、黄色や黄緑やピンクなど、色使いも個性的やった。
そこに、お顔がファンデーションで真っ白やったから、洋服の色が映えるばえる。
この先生は、絶対に怒らないし、すぐに合格させてくれるけど、ほめられても全然嬉しくなかったわ。
子どもなりに、安易に合格させられてもなあとか、思ってたんかなあ。
えらそうな子やわ。ほんま。

印象に残っているのは、近所に住む音大生に習っていた時。
その音大生は、声楽が専門やったようで、よく発声練習をしてはった。
少し離れている我が家にも、その声がよく聞こえてきた。
「ぁ~~~~~あ~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~。」
と、ビブラートたっぷりのその声を聞いて、弟たちは、
「ゆうれいや。ゆうれいがまた出てる~~。」
と、びびりながら、まねしとった。
思えばその先生が一番怖かったかもしれん。
一番若かったはずやけど。
先生の家の中は、花柄とフリルだらけのお花畑やのに、私が練習をさぼった状態でレッスンに行くと、一瞬にして、アラスカの犬ぞりに乗っているかのごとく、寒風に包まれる。
でも、それはしゃあない。
練習していかへん方が悪い。
それよりも、怖かったのが、曲にのめりこんで気持ちよく弾いていると、いきなり身体をバシッとたたかれることやった。
別に、痛いほどたたかれるわけやない。
パシッ!と、肩をやられる程度。
だから、全然身体は痛くはない。
たいしたことはない。
でも、身体が揺れるのは、無意識やねん。
そんな、自分ではどうしようもないことを怒られる。
テレビなんかで見るピアニストは、あんなにも気持ちよさそうに身体を揺らして弾いているのに、
「ほら、また揺れてる。パシッ!」
「また、動いてる。パシッ!」
「パシッ!また。」
とやられるわけ。
そりゃあ、正しい基本の姿勢もできてへんわけやから、そこを教えてくれてたんやなって今やったらわかるけど、当時は納得いかへんかったなあ。
身体は痛くなかったけど、心は痛かったわ。

結局、その先生に習ったのを最後に、ピアノをやめてしまった。
勉強が忙しいという、しらじらしい理由をつけたけど、ほんとはちょっとピアノが嫌いになってしまったという、悲しい終わり方。
数年後に、その先生が結婚した相手と、ご近所ってことであいさつにきてくださった。
めでたいじゃないか。
幸せそうな顔を見たら、パシッ!なんて、もう忘れてあげるよ。


でも、あれから40年以上の時が過ぎ、すっかりただの思い出話。
ピアノは、時々、好きな曲の楽譜を見ながら、ポロロンピロロンと楽しむ程度に。
そして、生まれた娘がピアノを習いだし、それがまあ、私なんて足元にも及ばない素敵な音色を出してくる。
こうして、自然に、ピアノ弾きの座は代替わりを迎えることができた。

(ただ、往生際悪く、娘のピアノの発表会に連弾てことで、無理やり出演した黒歴史付きやけど。)

そして、今では母となった娘が、我が家のピアノが欲しいと言い出した。

思うように弾けないし、薬の副作用から指が動きにくくもあるし、それはピアノにとっては、とても喜ばしい申し出。
わたしにとっても、全然弾けなくなってからピアノを手放すよりも、次に弾いてくれる誰かに託せる方が、ぜったにうれしい。

そうやそうや。
と、ピアノの引っ越しの算段はどんどんすすみ、あれよあれよと、ピアノが旅立っていった。

ピアノがなくなってよかったこと。
・部屋が広くなった。
・そうじがしやすくなった。
・弾いている時の、ご近所への気兼ねがなくなった。
・大きい終活をすることができた。
・娘や孫に渡すことができた。
・ピアノをどけたら、10円がでてきた。

ピアノがなくなって悪かったこと。
・白く跡が残り、フローリングの床が不細工になった。
・好きな時に弾けなくなった。
・ピアノがあった場所を見ると、ざわざわするようになった。
・やたらめったらピアノの思い出がよみがえるようになった。
・なんだか寂しくってたまらない。
・寂しい。
・さびしい。
・めっちゃさびしい。


私って、ピアノが好きやったんやなあ。
弾く楽しみだけじゃなく、そこにあるってことだけでも、幸せやったんやなあ。

世の中には、使わずとも、あるだけで心を満たすものがあるってことを、今になって気づく。

しょうがないなあ。

しょうがないから、楽譜の整理を始める。
娘の家に押しかけた時用の楽譜を、いつでも取り出せるようにセット完了。
出禁になるまで、押しかけるわ。



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