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食パンが好きすぎる

食パンが好きである。

近年の高級食パンブームとは関係ない。

幼稚園の頃から、この還暦ちょい手前まで、ほぼ毎日、トーストとコーヒーの朝ご飯を食べてきた私である。筋金入りの食パン好きである。(幼稚園児で、コーヒーを飲んでるってどうなん?と、今になっては思うことありやけど。)

トーストだけでなく、焼かずにそのまま食べるのも好きである。

そして、特にミミが好きである。食パンの袋の中に、ミミがおまけについてくると、もう絶叫である。一番端の食パンが、ミミと合体しているのも好きである。

好きな食パンは、春のパン祭りでお皿がもらえるものよりは、少々お値段高めの、焼き立てパン屋さんのものである。

何軒かお気に入りのパン屋さんがあり、ローテーションしながら、それぞれの味を楽しんでいる。

ここのところ、SS堂という、京都の老舗のパンドミにはまっている。毎日、一口目を食べた後に、必ず、「美味しい・・・。」と一人でつぶやいている。無意識に、声に出している。一人の食卓でも、必ず言ってしまう。

もちろん、食パン以外のパンも好きだが、毎日食べても、何十年食べても飽きない、この食パンの魅力にかなうものは、ほかにはない。


私の祖母は、大正生まれの人であった。

祖母の趣味は、読書であった。夜、寝床で、スタンドをつけて、本を読む習慣があった。老眼鏡をかけて、うつぶせになり、気難しい顔をして本を読んでいる祖母の顔を、布団の中からこっそり見るのが好きだった。

祖母の朝ごはんは、トーストとコーヒーだった。

コーヒーは、インスタントのもので、クリープというものをたっぷりと入れた、甘い香りがするものを好んでいた。祖母の家に遊びに行くと、朝は、この甘いコーヒーの香りと、トーストとマーガリンが入り混じった香りとで、目覚めるのだ。

祖母は、喫茶店に行くのも好きな人であった。喫茶店で、コーヒーを注文し、たばこを吸いながら、コーヒーの到着を待つ。その隣で、私は、いつも、クリームソーダーを飲んでいた。

私の両親は、喫茶店など、連れて行ってくれる人たちではなかった。外食をするなんて贅沢なことで、コーヒーなんて、家で飲んだらええといつも言っていた。

だから、祖母の家に行くと、いろいろなものを食べに連れて行ってくれるので、とても楽しみだった。

特に、喫茶店には、よく連れて行ってもらった。常連だったのは、庭に水車がある喫茶店で、客席と庭の間にある大きなガラス窓は、いつも水車の水しぶきがかかって、濡れていた。私は、それを見ながら、みどり色のクリームソーダーを、飲んでいた。だから、今でも、クリームソーダーを見ると、水車が思い浮かぶ。

祖母が吸っていたたばこは、エコーという名前のものだった。なんだか、古い感じのするパッケージが、印象に残っている。

祖母が、たばこを吸う。コーヒーを飲む。その隣で、孫は、クリームソーダーを飲む。

会話は、たいしてはずまない。でも、とても居心地のよい時間であった。


祖母の、トーストの食べ方は、まずは、マーガリンを塗ったものを、三分の一ほどそのまま食べる。次に、残った部分を、コーヒーに浸して食べる。実に、美味しそうに食べる。「おいしい?」ときくと、返事はない。でも、とても美味しそうに、いっきに食べてしまう。

私も、まねをしてみた。

私の母は、そういう食べ方を、行儀がわるいとか言って、させてくれなかったので、祖母の家に行ったときが、チャンスだった。

トーストのはしっこを、コーヒーにつけてみる。私のコーヒーも、祖母と同じく、クリープと砂糖をたっぷりと入れた、甘いめのものである。    コーヒーにつけたトーストは、しなっとなって、口に運ぶのが難しくなる。慌てて、口をトーストのところに持っていく。コーヒーがついたトーストは、コーヒーパンに変身していた。                  コーヒーとトーストだけでなく、マーガリンの存在が、さらにコクを出していたように思う。一口ごとに、トーストをつける。誰にも叱られずに、楽しみながら、トーストをコーヒーに浸す。

美味しい。

美味しすぎる。

一言もしゃべらずに、あっという間に、トースト一枚を食べきってしまう。

そして、マーガリンで少しコクがでたコーヒーを飲む。

祖母は、いつも、カップを傾けて、最後の一滴まで飲み干している。私も、同じようにとは思うのだが、できない。祖母の姿に憧れつつも、最後の一口を残してしまう。カップの底にたまったパンのカスが、どうしても飲めないのだ。ぐびぐび飲んで、すっと終わりたいのに、できないのだ。カップに残ったパンのカスを見ると、なんだか、美味しさに水を差されたような気持ちになる。

結局、祖母のように飲み干すことができないまま、私のコーヒーパン時代はは終わりを迎え、トーストはトーストで、コーヒーはコーヒーで楽しむようになってしまった。

そんな祖母との思い出が、私の食パン好きに影響しているのかどうかはわからないが、毎日食パンを美味しく味わっているのは、祖母と同じである。


パンドミと食パンは、どうやら定義が異なるらしいことを最近知った。確かに、食パンそのものを味わうために、バターも何もつけないトーストを楽しんでいる私としては、シンプルな材料のパンドミにたどり着くのは、しごく当然のことのようである。

でも、お気に入りのSS堂のパンドミは、パンドミ(名称 食パン)とラベルに書かれている。

美味しいから、もうどっちでもいいねんけどね。

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