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100分de名著を10分で:ニコマコス倫理学


この記事を読んで分かること

  • ニコマコス倫理学内容

  • 人間の究極の目標は、幸福の追求であり、それらを構成する徳、友愛、善が分かる

100分de名著:ニコマコス倫理学の概略図

はじめに

ニコマコス倫理学は、古代ギリシアを生きたアリストテレスにより、万人に対して、より開かれた「生の技法」を主張している本であります。 すなわち、いかによく生きるかという普遍的なテーマについて書かれている本にであります。例えば、「幸福とは何か」や「人生の目的とは何か」といった、意外と身近なテーマについても記載されています。ここの身近さが近代以降の哲学と大きく異なり、古代哲学に典型的な親しみやすさを持っています。
⚠️本文での「この本」という指示語は、「ニコマコス倫理学」を指します。

一章

二つの異なる倫理学

この本はキリスト教との反発をはじめとするさまざまな苦難をも乗り越えてきた時代や地域を越えて読み継がれる普遍性を持っている書物です。
この本のジャンルに関しては、倫理学の中でも、「幸福論的倫理学」と言われるジャンルに入ります。これとは別のジャンルに、イマヌエル・カントの「義務論的倫理学」があります。以下にその違いを書き記します。

  1. 幸福論的倫理学:人間の存在の究極的な目的は幸福になること。そして、それを成すためにはどのようなことが必要なのかを考える学問

  2. 義務論的倫理学:「〇〇すべきだ!」というように、道徳に基づいて行動することを重視し、それをなすためにどのようなことが必要なのかを考える学問

二つの異なる倫理学

このように、この本では幸福になるということを目指しています
そして、ニコマコス倫理学は、「こうするべきだ!」といったカントの義務論的な倫理学とは異なり、どのように生きることが幸福な人生を生きることができるのか、といった倫理学となります。
また、倫理学とは、数学や物理学のように一定の法則性からはみ出さないような分野ではなく、ある程度のゆとりを持った範囲に収まることを前提としている学問です。この厳密性の求められる度合いは学問によって異なりますが、倫理学の場合は「大抵の場合は当てはまる」ぐらいで事柄を判断していく学問です。

人生の究極的な目的は幸福になること

人間の生きる目的は、幸福になるためにあるとアリストテレスは主張しています。
例えば、受験勉強をしている高校生に対して、今勉強しているのは何のため?という質問をするとします。
その際に、勉強して、良い大学に入り、技術や知恵を身につけ成長し、豊かな生活を送れるよう幸福になるため。このように、すべての元を辿れば幸福になりたいがために順を追って目的を果たそうとしているとアリストテレスは主張します。

ニコマコス倫理学の基本的な構成

このニコマコス倫理学では大方以下のような考え方で進んでいきます。
まず、よりよい生き方を選べる「徳」を習慣化して身につけることで、「性格」が良い方向に向かう。そして、それらによって「幸福」を実現することができる。という考え方で進んできます。
これは、ニコマコス倫理学のギリシア語のタイトルは「タ・エーティカ」からもわかります。タ・エーティカはの語源のエトスとそれから派生したエートスは、それぞれ習慣と性格という意味です。習慣によって積み重なった性格が、幸福につながるということをアリストテレスは主張しています。

二章

幸福を実現する時はいつ
この幸福に到達することが最も重要だという構造で考えれば、これらの過程自体は単なる手段であり、その途中では幸福が実らないかもしれないという解釈もすることができますが、幸福は過程に対して意味づけをすることができるため、目的のための過程が着々と進むこと自体にも幸福を感じることができるのです。
確かに、目標や夢のために努力を重ねることは、楽しいことですよね💪

善を追求する人間

人間の幸福の追求にあたって、アリストテレスは人間は善を求めて行動していると説きます。この善は、現代の言葉で言うところの「価値」という語に置き換えるとわかりやすいです。
その善とは、大きく分けて3種類あります。それは「道徳的善」「有用的善」「快楽的善」です。これらの中身を以下に簡単に記します。

  1. 道徳的善:それが道徳的に正しい行いだからする

  2. 有用的善:それが役に立つからする

  3. 快楽的善:それが楽しい、心地よいからする


幸福になるための三つの善

つまり、人は一見すると、非道徳的な行いをすることもあるのだが、実のところはその人なりの善の追求が現れていると、アリストテレスは考えます。
例えば、窃盗のために他人の家に侵入した人がいるとします。その人は、「道徳的善」ではなくとても、残りの二つの「有用的善」か「快楽的善」、もしくはその両方を目指して窃盗に入ってしまったのかもしれないと考えることができます。というのは、その人は、窃盗をしてその金品を売り払うことによって得られたお金で生活費を稼ぐ必要性があったのかもしれないし、窃盗に入るスリルを味わうためだったのかもしれないからです。このように、個々人の行動の原動力には、この三つの善から動かされているとアリストテレスは考えます。
私は、現在ウクライナやガザ地区など世界各国で起きている紛争の原因も、両者の善の追求だと考えることができるなと思いました。
ただし、善の追求には自己中心的な行いも擁護することができてしまうという批判をの声も意見も上がってきます。それこそが、前述したカントです。彼は、アリストテレスの価値観とは異なり、「人間には果たすべき義務があり、それを遂行することがよいことだ」という規範に基づいた義務論的倫理学を展開します。
カント自身もその価値観にまさに沿った生活を送っていたそうで、設定したスケジュール通りの生活で、毎日同じ時間に時計台の周りを歩いており、「ケーニヒスベルクの時計」と呼ばれていたそうです(笑)😆

幸福を追求する人間

このように、人間は幸福を求める存在であることがわかりました。そこで、幸福とはどのような生活からなっているのでしょうか? その生活はは大きく分けて「観想的生活」「社会的生活」「快楽的生活」の三つあります。

  1.  観想的生活:真理の追求、新たに物事を知ることが幸福である

  2. 社会的生活:しかるべき役割を果たすことが幸福である

  3. 快楽的生活:快楽を追求することが幸福である

3種類の幸福を追求する生活

これらの幸福的生活の中で、アリストテレスの幸福論の考え方の核心は、可能性を切り開いて現実化する「自己実現」の要素が強くあります。それを達成することができるのは、人間が他の動物と異なり、「理性」という特出している能力を持っているからだと考えます。このように、アリストテレスの考え方は理性的な生き方をすることこそが幸福であると考えています。
動物には、今現在のことにしか幸せを感じ取ることしかできないが、人間には、それから広げて世界観を味わうことによって大きな喜びを感じ取ることができる、とアリストテレスは考えているのですね。 

三章

社会生活で徳をつけて幸福になる方法

では、幸福になるためにはどんなことをする必要があるのでしょうか。
答えは、「徳」をつけることだとアリストテレスは考えます。 幸福になるには、徳をつけることが必要であり、「判断力」「勇気」「節制」「正義」の四つに分類されます。

  1. 判断力:物事を理性的に判断する能力

  2. 勇気:何か恐れをなさず、立ち向かう能力

  3. 節制:欲望を理性でコントロールする能力

  4. 正義:道徳的な価値観で行動する能力

幸福を成す四つの徳

幸福を導く徳について

では、幸福を導くこの四つの「徳」はどのようにして身につけることができるのでしょうか?
答えは、生まれながらに持っている可能性を習慣化を通じて現実化していくことによって徳を有するようになる。つまり、日々の意識的な習慣により身につけることができるとアリストテレスは主張します。そして、この徳を身につけることというのは、技術を身につけることと同じようなものとして考えれば良いです。生まれつきの性格などによって固定化されたものではなく、技術と同じように継続的に習慣化していくことによって徳を身につけることができる。
このアリストテレスとは対照的に、性格は後天的に変えることができないと耳にすることがたまにありますが、それとは逆にアリストテレスは、習慣化により築き上げることができると主張しており、なんだかポジティブな気分になりますね🤩
そして、この徳が身についているかどうかがわかる点が二点あります。
一つ目に、素早くできるようになることと、二つ目に、喜びを感じることができるようになることです。

日々の積み重ねで身につく徳とその特徴

これを身近なピアノの練習の例で言うと、ある一曲ピアノの練習をしていくとします。すると、先週よりも今週、今週よりも来週の方がより素早く引くことを実感できるかと思います。そして、先週よりも上手になっていることは、楽しいという感覚も味わえます。このように、何らかの徳が身につく過程では、素早くなり喜びを感じることができるという特徴があるとアリストテレスは考えます。
また、徳は誰かしらをモデルにしてその真似をすることによってその徳を身につけることができます。つまり、師匠や教師、メンターや教材をもとにして、徳というものは生まれてくるということです。
そして、その徳は自由自在に操れるものではなく、良い徳と悪い徳によって構成されているので、一朝一夕には変えることができないシリアスな現実も待ち受けています😐

徳と悪徳を持ち合わせている特徴

では、徳と悪徳を持ち合わせている人に見られる特徴は何があるのでしょうか?

  1. 節制ある人:欲望に惑わされない人

  2. 抑制ある人:欲望と戦い、欲望に打ち勝つ人

  3. 抑制のない人:欲望と戦い、欲望に負けた人

  4. 放埒な人:欲望のままに生きている人


徳と悪徳のグラデーション

このように、右上に行くほど理性的で欲望と戦わない望ましい状態であると考えます。日々の適切な選択を繰り返して選んでいくことによって、望ましい心の在り方を安定して作っていくことができるということなのですね😀

喜びをはじめとする感覚は千差万別かどうか

このようにアリストテレスの考える幸福というものの幅は、昨今の多様的な価値観とは異なり、ずいぶんと限定的な印象を受けます。それもそのはずで、アリストテレスは望ましい成熟した感覚を持つ人の、意見こそが正しいと考えているからです。
例えば、今の時代には、高級な何百万円もするワインもあれば、コンビニで買うことができるようなワインもあります。そのような場合はアリストテレスはその両方にそれぞれの良さがあると認めつつも、洗練されていることを嗜むことに落ち着いていくと考えます。
これは、もうアリストテレスの中庸という概念につながります。中庸という熟語の意味は、よく「ほどほどに」という意味で使われがちです。しかしながら、中庸というのは、臆病と無鉄砲の間の勇敢にガッチリとハマっている状態を指します。このように一応の幅を認めつつも、一定の間に収まるような考え方は幸福論的倫理学の基本的な考え方であります。

四章

友愛とは

これまで話してきた幸せを導く徳という素質を身につけるにあたって、アリストテレスは良好な友好関係が欠かせないと考えます。また、良好な友好関係から徳が身につくという、二つには相互的な関係性があると考えます。これらは、優れた人の共通感覚として「エンドクサ」と言われる概念からこの重要性を説いています。
ただ、アリストテレスは「エンドクサ」は時に衝突することがあると言います。これは、決して悪いことではなく、熟議を重ねることにより新たに洗練された思考が生み出されるアリストテレスは考えています。

友愛の種類

このように友愛の重要性が語られてきましたが、友愛には三つの種類があると考えています。

  1. 人柄の善さに基づいた友愛

  2. 有用さに基づいた友愛

  3. 快楽に基づいた友愛

三つの種類の友愛

このように友愛には3種類があることがわかりました。 そして、アリストテレスはこの中でも人柄の良さに基づいた友愛を重要視しています。それは、人柄というのは日々の習慣の積み重ねによって徐々に積み重ねられたものであり、安定性と持続性が共にあり、容易く消えるようなものではないからです。その一方で、有用さと快楽に基づいた友愛は、それぞれが部分的な人間関係に陥りやすく、ひょんなことですぐに解消されてしまうような人間関係になりがちだからです。人柄の良さに基づいた友愛はさらに、有用さと快楽をも包括する高次の概念であるとアリストテレスは考えます。

この人柄の良さに基づいた友愛を持つ人というのは、単に社交的や表面上は性格が良く見えることではありません。そうではなくて、人間として充実した在り方でそのことに満足しているような人のことを指します。そういった人らが良き人間関係を結べば、信頼の厚い関係を作ることができ、他の二つの有用さと快楽に基づいた友愛も得る事ができると考えます。
ただ、これだけ賞賛されている「人柄の良さに基づいた友愛」は、簡単に手に入るものではありません。なぜなら、友愛には醸成するのに時間がかかるからです。さらに、そもそも自身が「人柄の善い人」であるという前提を満たし、「人柄の善い人」に出会うということそのものも難しい、それらを醸成する十分な時間が必要だからです。これらの三つの条件を満たすことは簡単なことではないため、より一層価値があるとアリストテレスは考えられています。

友愛に関して注意するべきこと

友愛には、人柄の良さに基づいた友愛が最も望ましいとされてはいます。ところが、これ以外の二つの友愛を排除してしまうと、寂しく悲しい人生になってしまうと本書の著者は主張しています。たとえ、一時的な仕事仲間だったとしても、いつも関わっているわけではない近隣の人だったとしても、そういった人間関係を排除するのではなく、そういった関係性も同時に大切にしていく必要性があると本書の著書は主張しています
私自身も、心の底から分かり合える友が欲しいと思って、浅い人間関係を保つのが面倒だと思っていましたが、そういった状態を徐々に育てることでしか、人柄の良さに基づいた人間関係は気づくことができないと最近になってわかりました😅

友愛の三つの成立条件

そして、これらの友愛が成立するには三つの条件があると考えています。

  1. 好意を持つもの

  2. お互い双方向のもの

  3. お互いが気づいているもの

友愛が成り立つ三つの条件

これらを見てみると、初めの二つですでに成立しているように思えるのですが、実は最後のお互いが気づいているということがすごく重要なのです。どちらが片方の好意に気づくことができなければ、一方的に好意を向けてもそれ以上は成就しないということが言えます。
また、この中で好意を持つというのは、「相手が良い状態であることを願うこと」です。つまりは、「相手の幸せを願う」ということです。さらにわかりやすく理解するために、全く逆の概念として挙げられているのが、妬むということです。妬むというのは、「相手が良い状態であることを悲しむこと」です。このように、アリストテレスの本書でキーワードになっているのは何度も出てきた「善」という概念になっているのです。

まとめ

ご覧いただきありがとうございます! いかがだったでしょうか。私は、ニコマコス倫理学に書いてある内容は他のところでも頻繁に説かれているような内容だなと思いました。そして、これらの内容を実体験と照らし合わせてみるとなるほどなと感じることが多かったです。ニコマコス倫理学の内容はそれだけ、普遍的な内容なのだろうと思い、流石だなと思いました。 最後にこの記事が良いと思ったら、いいね!❤️を押していただけると幸いです🙇

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