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【ありがとう行】1. コウカイからのカイホウ

夫と出会ったのは、世界中を飛び回る仕事を辞め、
ようやく日本で見つけた、多少楽しそうと思える職場だった。
30歳の冬。
もう、結婚は諦めていた。

1年の3分の2は海外出張でホテル暮らしをしていた。
面白くて仕方がなかった仕事は、実績や実力よりも
手を挙げれば挙げただけ、なんでもやらせてもらえた。
追い風の吹いてた、ある意味めちゃくちゃな時代だった。

たぶん適性もあった。
世界中の取引先にかわいがってもらえた。
言葉が拙かろうが、経験が浅かろうが、信頼関係を築くこと。
それが仕事だった。

でも激務がたたって、身体を壊した。
体内時計が狂ってしまった。
このままだと弱いところから壊れる。
おそらく生殖機能だろう。

いつのころからか、子供は産んでみたかった。
女子に生まれ、出産という機能が搭載されてたので
一度は使ってみたかった。

産む環境として、結婚はしておきたかった。
子供を抱えて生きるということは、社会的弱者になることだ。
結婚は、愛情の着地点というよりは、リスクヘッジだった。

自分の子供である以上、日本や日本語と無縁では生きられない。
であるなら、日本語ネイティブの環境で子育てをしようと思っていた。
国籍や母語のアイデンティティに疑問を持たせたくはなかった。
今考えると、自分自身の未解決案件を直視したくなかっただけのような気がする。

夫の部屋に初めて入った時、一緒にいられそうだ、と思った。
日本では誰とも一緒にいられない、満身創痍の野良犬みたいだったわたしにとっては、たったそんなことが合格ラインになってしまった。
そこに愛はあったのかと問われれば、では愛って何ですかと聞き返そう。

わたしが図らずも好きになってしまうような人、は、きっと日本の組織で生きられるような人の中にはいないだろうと思っていた。ブラジルで、南アフリカで、イタリアで、言われた。あなたには、普通の日本人は無理だよ、と。あなたは普通の日本人には無理だよ、だったかもしれない。どちらも正解だった。で、その通りになった。



結婚、出産という経験ができたことは、夫がいてくれたからだ。
それは間違いない。
経験できたことで、やっておけばよかったという後悔からは
生涯解放された。
そこに対しては、心の底からありがとうと思っている。
あのタイミングで結婚していなかったら、
年齢的にも妊娠は望めなかったかもしれないから。

(いや、もっといい相手と出会っていたかもしれないけど・・・
それを言い出したらキリがないので、そういうことにしておこう)

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