自分の当たり前は他人の当たり前ではないという話
みなさん、こんにちは。人生サポーターの百太郎です。
朝起きたらまずトイレに行くのが当たり前です。ご飯を食べるときはみんな揃って「いただきます」をするのが当たり前です。コーヒー飲むならブラックが当たり前です。なーんて僕が当たり前と思っていることを並べてみました。
でも、これに当てはまらない人ってたくさんいますよね。
今から当たり前のことをいいます。
私の当たり前は、あなたの当たり前ではありません。お父さんの当たり前は、お母さんの当たり前ではありません。上司の当たり前は、部下の当たり前ではありません。多数の当たり前は、少数の当たり前ではありません。
みんなの当たり前は違います。
もし、当たり前を共有したければ、共有できるように作らなければなりません。これは当たり前です。こんなことみんな知っている当たり前です。
でも、みんな忘れてしまう当たり前です。
だからこそ、「自分の当たり前は、他人の当たり前ではない」と胸に刻みこまなければなりません。特に誰かの上に立つ立場の人は、人一倍このことを覚えていて欲しい。強い意見を出せる人こそ、このことを覚えていて欲しい。
あなたが押し付けた当たり前が、誰かを傷つけることがあります。当たり前を共有したければ、作り上げなければなりません。
そして、世間の当たり前を、自分の当たり前にする必要はありません。違う人がいることも当たり前。考えが違うのも当たり前。当たり前は押し付けず、作り上げて行くもの。
この春から誰かの上に立つ人、あたらしい世界に入る人、それぞれの当たり前が全てに通用することはないんです。
誰かの当たり前を認めること、自分の当たり前を理解してもらうこと、そして自分たちの当たり前ををつくることが組織を作ること。
誰かの当たり前に、みんなを強制することが組織を作るベストな方法ではないんです。
当たり前だけど、忘れがちなこと。
なぜかしら、今日はこれを書きたくなりました。
さて、私は何回「当たり前」といったのでしょう。
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