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剣、迷惑な友人

 小学校3年生の時、母と体育館の側を通ったら、開いた扉から剣道をやっているのが見えた。
「やってみたい」
 全体、自分がどうしてそんなことを言ったものかは判然しない。恐らく竹刀で誰かを叩いてみたいというぐらいだったろう。剣道をやりたいとは全く思っていなかった。これははっきり覚えている。

 数日後、母が町内の道場を見つけて来た。
「この前、やってみたいって言ってたでしょ。明日、学校の後で行ってみるよ」
「え」
 その時分、母には津村さんというママ友がいた。 
 津村さんは大いにアクティブな人で、化粧の仕方やファッションなど、母は随分感化されていたように思う。
 ある時津村さんが、子供らがチャンネル争いをするものだからテレビの電気コードをハサミで切ってやったと云った。何だか得意げな様子で、母は「へぇ、凄い」と言って、甚だ感心した。
 後日、自分と妹が同様にチャンネル争いをしたら、母が駆け込んで来てコードを切った。
 真似をしたくて機会を窺っていたのだろう。
 うちのテレビはじきに父が直したけれど、津村家のテレビがどうなったかは知らない。
 その津村さんの娘も、道場に行くと云う。どうやら道場は津村さんが見つけたのだろう。

 剣道は、果たして全く面白くなかった。
 お試し稽古の後、道場主の前で「どうだった?」と訊かれたけれど、つまらなかったとは言いにくい。「うーん、まぁ、わからん」と適当にぼかしたら、そのまま入門することになった。

 一年ばかりそこの道場で続けたけれど、やっぱり一向面白くない。こんなことをするより、友達と釣りにでも行きたいと、いつも思っていた。
 自分がよほどやる気を見せないものだから、母は「帰って来るまでにゼリーを作っておいてあげるから頑張りなさい」と、食べ物で釣る作戦に出た。
 ゼリーは好きだが、それで剣道まで好きになる道理はない。
 止めたいと幾度か訴えたが却下された。サボってバレたらきっと大変だから相変わらず嫌々通った。
 じきにゼリーの代わりに百円をくれるようになった。稽古の帰りにジュース買って飲みなさいと云うのである。
 大抵、ファンタのオレンジかグレープを買って飲んだが、ある時スプライトを買ってみたら、思っていたより炭酸がきつく、腹が張って大いに苦しくなった。
 やばい、苦しい、痛い、どうしよう、と焦ったら、大きなゲップが出て治った。

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