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扇風機と海苔弁当

 社会人1年目の夏、勤め先(パスタ屋)から充てがわれた部屋にはエアコンがなく、扇風機も持っていなかったので暑さに対してまるで無防備だった。

 いつも夕方から閉店までのシフトで、明け方に寝て3時頃起きる生活だったのだけれど、ある時あまりの暑さで昼前に目が覚めた。
 再び寝ようにも、どうにも暑くていけない。さすがに限界を感じたから近くの西友へ行って5千円の扇風機を買って来た。出勤前に一仕事終えたような充実感があったのを覚えている。

 出勤してから、昼間に扇風機を買ってきたのだよとバイトに自慢したら、「百さん、今まで扇風機もなかったんですか?!」とみな驚いた。それで、自分も今までよく頑張ってきたものだと感心した。

 数年後、パスタ屋を辞めて古巣の大阪へ戻った。大阪では学生時代の友人である辻の近所に部屋を借りた。古い物件だったが、前の住人が付けたエアコンがそのまま残っていた。

 それからちょうど1年後に今度は名古屋へ引っ越すことになった。名古屋の新居にもエアコンがあったから、荷物を減らすのに扇風機は辻に譲るつもりで「お前、扇風機いる?」と電話したら、「いま弁当屋へ行くところだから、そこへ持ってきてくれ」と言ってきた。
 弁当屋は自分の住まいから100mほどの所にある。こっちが持って行くのは面白くないが、取りに来いと云って「じゃあいらない」となっても邪魔くさい。結局持って行った。

 剥き出しの扇風機を提げて弁当屋に入ると、店員から「いらっしゃいませ」と言われた。弁当を買うつもりはないから何だか悪い気がした。
 店内で辻に扇風機を渡すと、辻は壁のコンセントに勝手に繋いで動作確認をした。そうして「お前のことだから、きっと壊れて動かない物を押し付けるのだろうと思ったのさ」と言った。今回は違うけれど、それはいかにも自分がやりそうなことだと思った。
 それから海苔弁当を奢らせた。

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