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禁煙の方法

 先日、スーパー銭湯のカウンターでセブンスターが六百円で売られているのを見て、随分驚いた。こんな値段では、貴族でなければ喫煙なんてできるものではないだろう。

 二十歳で胃を悪くして、暫く酒と煙草と胃に負担のかかる食べ物を禁止されたことがある。その後、酒と食事はじきに解禁されたけれど、煙草だけはずっと禁じられたままだった。
 それから一年ちょっと経過して、自動車教習所へ通うことになった。
 最初に申し込みに行くと、早すぎて担当者がいないから一時間後に来るようにと受付の女子が云う。
 十時前でそんなことになるとは思っておらず、ちょっと驚いたけれど、いないものはしようがない。わかりましたと云ってひとまず出た。
 近くには大きな公園があるばかりで、時間を潰せそうな喫茶店などはない。幸い、公園に売店があったから、菓子パンと缶コーヒーを買ってベンチでのんびりした。
 ついでにふっと気が向いて、煙草も自販機で買って吸った。一年以上ぶりで、随分美味く感じた。
 暫くして教習所に戻ったら、先刻の女子が入所受付をした。こいつ……、と思った。

 社会に出てから、友人らと大人数でガストへ入ると、あいにく禁煙席しか空いていなかった。
 それで食後の一服を店の外でつけていたら、友人の一人がやっぱり煙草を吸いに来た。
「おや、百さんも?」
「うん。禁煙席だから禁煙というわけにも、ねぇ?」
 すると彼は、「やっぱり煙草は……、やめられまへんなぁ」と言って来た。
 その変な関西弁が何だかカチンと来た。やめられまへんなぁ、の前に変なタメがあったのが、余計にイラついたのを覚えている。
 こんな人と一緒に思われたくないので禁煙した。別段どうということもなく、すんなり止められた。

 三年ばかりそうしていて、いつでも止められるとわかったから、また喫煙を再開した。
 それから次第に、いずれ煙草が一箱千円になるという噂が広まっていった。
 いきなり千円になることはないだろうとたかを括っていたけれど、ある時ふっと、段々値上がりしていけば、いつかはついて行けなくなるのだと気が付いた。
 本当は吸いたいものを、金がないから意思に反して止めるのは、禁断症状と惨めさで二重に辛いに違いない。
 それなら今の間に自分の意思で止めるのがいいだろうと、箱に半分残っていたのを捨ててそのまま禁煙した。それぎり二十年ばかり吸っていない。

 全体、煙草を止めるには、身体を壊すか、一緒に思われたくない相手がいるか、さもなくば金がないのが肝要だとわかった。

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