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春の寒さ、言葉の意味

 先日、仕事でちょっとした作業をするので半袖Tシャツに着替えた。
 別段汗をかいたわけでもないから、終わった後もそのままでいたら、段々寒くなってきた。どうも四月の上旬とは、存外寒いものかも知れないと思ったら、ふっと鹿田君を思い出した。

 十八の時、四月の初めに大学に入って、じきに教科書を買い揃えた。
 今はどういうシステムか知らないが、あの時分には広い部屋に本が積んであって、各自が順番に必要なものを取って回るようになっていた。
 販売スペースがごった返さないよう、入れる人数に制限がある。それで枠が空くまで外に並んで待たなければならない。
 四月だから別にいいだろうとたかを括っていたら、並び始めた頃にはどうということもなかったのが、進むにつれて段々寒くなってきた。
 あんまり寒いものだから出直そうかと思うけれど、ここまで並んで中途で帰るのも業腹だ。そうやって寒さと勿体なさの間で揺れていると、順番が進んでいよいよ帰りづらくなる。一方で、寒さもますます堪えて来る。
 どうしようかと考えながら、結局勿体なさが勝って自分の番まで並んだ。

 寮に帰ると寮母さんが、「今日は寒かったなァ」と言ってきた。
 教科書を買うのにずっと外で並んでいたと教えたら、「あんた細いから、余計に寒かったん違う?」と言う。
「芯まで冷え切った」と答えて、すぐ風呂に入った。

 学生寮だから、共同風呂である。入ると先客が一人いた。
 湯に浸かりながら、今月から入りましたと挨拶したら、先方もそうだと云う。
 彼は鹿田と名乗った。
「どこから来たんですか?」
「奈良です」
 奈良へは中学の修学旅行で行ったと云うと、鹿田君も「どこからですか」と訊いてきた。
「広島です」
「僕も修学旅行で行きました」
「何だか、交換留学生みたいですね」
 意味のわからないことを言ったと思った。

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