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百卑呂シ随筆

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#思い出

カレー焼き、感情

 小5の時、町内に新しいショッピングセンター『ひろでん』ができ、早速行った母がカレー焼きとクリーム焼きを買ってきた。  カレー焼き・クリーム焼きは大判焼きを細長くしたような形で、中にそれぞれカレー、カスタードクリームが入っていた。どちらも美味くて、その後もちょくちょく買ってもらった。確か、1個50円ぐらいだったと思う。  ある時、イカサキ君が家に遊びに来た。イカサキ君とは小2で同じクラスになり、「今日遊べる?」と声をかけてきたのがきっかけで仲良くなった、当時一番気の合う友人

具無しカレーの記憶

 大学の帰りに学科の友人らと一度、正門前の “TARO” で食事したことがある。もう外が暗かったから季節は冬だったろう。  店主の奥さんがカレーライスを置いてキッチンへ戻った後、佐伯が「具が、無ぇ…」と言った。佐伯は女子だが、男のような物言いをした。  みんな別の話に夢中で誰も反応しなかったから、もう一度云うかと思って見ていたが、佐伯は云わずに食べ始めた。そうして「あぁ、美味い」と言った。やっぱり誰も反応しなかった。  具が見当たらないのはケチっていたわけではなく煮込んで

記憶と万年筆

 好きな物について書いてみる。 ※  元々筆記具好きの気があって、仕事中に自席でメモを取ったり、書きながら考え事をするのに万年筆を使っている。  万年筆の効能は「使うと気分が上がる」ということだ。これは単に好きなものを使うからそうなっているので、何も万年筆限定の特別な力ではないけれど、何をするにも気分の上昇は大切だ。気に入った道具を使うことで仕事のモチベーションが上がるのなら、限定の効能でなくても使う意味は十分ある。  見るからに “万年筆!!!” というようなのを使

オサダ君とカウンタック

 オサダ君は幼稚園に入る前からの友達なので、恐らく幼馴染と云って差し支えないのだろう。  祖父母と同居することになって、引っ越す前から「近所にオサダ君ていう同い年の子がいるから友達になれる」と聞かされていた。  引っ越したその日からオサダ君は早速遊びに来た。先方でも裏の百さんのところに同い年の子が来ると聞いていたのだろう。  オサダ君は黄色いカウンタックがプリントされたTシャツを着ていた。  その日からほとんど毎日一緒に遊んだと思う。  彼の家で緑ジャケットの『ルパン三世』

きれいな記憶はきれいなままで

 この記事の続き。 ※  生まれも育ちも広島だが、大阪で過ごした大学時代が楽しすぎて、卒業後も大阪の人として生きるつもりでいた。  ところが実際卒業すると広島勤務となって、しぶしぶ帰郷した。さらに新入社員研修で居眠りしたのが仇となり、わずか3ヵ月で今度は横浜へ飛ばされた。いよいよ大阪から遠く離れて最初は大いにどんよりしたが、横浜は行ってみると思っていたより随分良い街で大変気に入った。  半年で広島へ戻る約束だったのを、あんまり気に入ったものだからこのまま横浜に居させてほし

富士見湯、宮内のこと

 1990年4月から91年の10月まで、鈴木学生寮に住んでいた。  鈴木学生寮は、朝・晩の食事付き、風呂・トイレ共同の学生アパートだった。  周りの部屋には女子もおり、週末には誰かの部屋に集まってみんなでわいわいやっていた。自分は4月生まれなので、ちょうど馴染んだ頃に先輩たちが誕生日パーティをやってくれたのを覚えている。  寮の食事と風呂は平日だけなので、土日は銭湯へ行った。  銭湯は『富士見湯』だったか『富士の湯』だったか、そんな名前だったと思う。ここではとりあえず富士