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百卑呂シ随筆

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#人生の伏線

依代、人生の伏線

 昔テレビで流れていたオリエンタルマースカレーのCMで、最後に「ハヤシもあるでよぉ」と言うのが何だか面白く、「〜でよぉ」が幼稚園で流行った。広島の幼稚園で、みんな、名古屋弁と知らないまま真似をしていた。  最初に使い出したのは為末君だったと思う。ゴレンジャーごっこか何かをしていて、「まだ(悪者が)おったでよぉ!」と言ったのである。  それの何が面白いのだか、今はまるでわからないけれど、その時には随分可笑しくて、全員転げ回ってゲラゲラ笑った。涎を垂らして笑う者までいたように思う

桃屋、人生の伏線

 昔、桃屋のCMで、高校球児に扮した三木のり平(のアニメキャラ)が、腰に結びつけたタイヤを泣きながら引きずりながら白米を食って頑張るシーンがあった。  幼かった自分には、ごはんをもりもり食べるのは理解できても、なんでわざわざ泣きながらタイヤを引きずるのだかわからない。この人はどうしてこんなことをやっているのか、誰かにいじめられているのかと母に訊ねたら、中学か高校のクラブ活動でスポーツをやっている人だと云う。  それを聞いて、きっとスポーツなんかやるものではないと得心した。  

回収できない伏線

 数年前、不意に山下久美子の布袋楽曲を聴きたくなり、通りがかりのブックオフで探したら500円コーナーにベストアルバムがあった。見ると『シングル』とか『微笑みのその前で』とか、一連の布袋楽曲が揃っている。  こんなに都合よく見つかるとは思っておらず、感心しながら購入した。  高校時代にバンドでコピーしたから、どの曲も随分懐かしい。ところが聴いているうちに、だんだん気分がどんよりしてきた。  自分の高校時代の記憶は恥ずかしいものが大半で、たまさかそうでないのがあっても、辿ればき

落とし物をして、昭和の駅に忘れ物をする

 Googleドキュメントで1月1日から12月31日まで365個のファイルを作って、毎年同じ日の日記を書き足していくということを2019年からやっている。去年の今日はどんなことがあったというのが見えて面白い。  日記といえば、学生時代に書いた日記帳があまりにもあんまりな内容と体裁で猛毒文書になっている。  ずっと処分に困ってきたのだけれど、いつまで持て余していたって一度書いたものはなくならない。だから比較的毒素の薄い部分だけを上述のGoogle日記に転記して、原本は神社でお

生みの親

 大学2年の時、学生寮で木下さんが「百君、このギターを2万で買わないか?」と云ってきた。フェンダーのストラトキャスターだった。  ちょうどストラトキャスターに興味があったから、2万ならと買っておいた。  自分はギターのことを高校時代に級友の谷田からあれこれ教わった。  谷田はフェルナンデスのギターを使っていた。フェンダーのギターってどうなんだと訊いたら、あれはフレットが小さい上に指板のアールがきつくて弾きにくいと云った。  世界のフェンダーがそんなに弾きにくいなんて本当だろ

珈琲と人生の伏線

 18の時、郷里から大学受験で大阪へ行ったついでに、音楽雑誌で見かける大きな楽器店へ行ってみることにした。その店のオリジナル商品であるギター用カスタマイズシールを買うつもりだった。  スマホなどない時代で、予め雑誌で住所と地図を調べて行った。ところが店があるはずの場所にはオフィスビルがあるばかりで、楽器店らしきものは見当たらない。看板もないものだから、小一時間辺りをうろうろしたけれど一向見つからない。このままでは埒が開かない。ダメ元でオフィスビルに入ってみることにした。

人生の伏線、カルボナーラ

 大学生の時分、働くということに全く興味が持てなくて、就職活動を随分適当にやっていた。行動量としては恐らく周りの友人らの半分以下だったろう。当然、どこにも決まらない。  ある時とうとう親から、いい加減にしろと怒られた。それで渋々合同セミナーへ行った。 ※  行ってみると、貿易会社とか旅行代理店が人気らしく、随分人が並んでいる。自分もそこへ並びかけたが、受かるかどうかもわからないのに長蛇の列に並ぶのはどうも面倒くさい。それよりも極力並ばずに話を聞けて、かつ名前を知っている会