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横浜のパスタ屋で働いていた頃、時折、店を閉めた後でバイトのメンバーと食事に行った。 パスタ屋は午前二時閉店だったので、出かけるには随分遅い時間だけれど、街は割りに明るく、人通りもあったように思う。 そういう時代だったのか、あるいは横浜だからそうだったのか、今ではもう判然しない。 一緒に行くメンバーはいつも樋口と岩戸と小沢で、行き先は大体ラーメン屋か、近くのデニーズだった。 ある時デニーズで、樋口がコーヒーゼリーを注文した。じきにそれは出てきたが、樋口は皿を見ながら
働くことにようやく慣れた頃、休日に横浜駅前へ行ったら靴屋がオープンしていた。 冷やかしのつもりで入ってみると、リーガルのローファーが半額になっている。新規オープンセールなんだそうだ。リーガルが半額とは中々のものだと感心した。 自分は最初の配属先で西村さんから、折財布は使うな、時計のバンドとズボンのベルトと革靴は色を合わせろ、ブランドロゴのTシャツは着るな、革靴はローファーも持っておけと教わった。 西村さんは随分お洒落な人だったのである。 この時期にはその教えがまだ強
パスタ屋の従業員時代、新しい店に赴任すると、店長が和田さんについて「あの人は所謂『肝っ玉母ちゃん』でね、みんなを引っ張っていってくれる人だよ」と教えてくれた。 和田さんは深夜帯のパートタイマーだった。まだオープンから半年ほどの店で、まとめ役がいるのはありがたい。それでこちらもそのつもりでいたけれど、一緒に仕事をしてみると何だか聞いていたのと様子が違う。どうも、人に対する選り好みが随分きつい。 好きな相手には『肝っ玉母ちゃん』である。相手が凹んでいれば、「そんな細かいこと
横浜で一時期、老夫婦が営む古びたクリーニング店を利用していた。 ある時コートを預けたら、タグに油性マジックで名前を書かれて返ってきた。普通は名前を書いたカードを針金やホチキスで留めるところだが、老夫婦のことだから、そこら辺はあんまり深く考えずにずっとそうしてきたのに違いない。またお客も大概近所の常連ばかりで、先刻承知なのだろう。 おおらかな時代の名残に触れたようで、何だか微笑ましく思った。 今仲にその話をしたら、「他人の服に勝手に名前を書くなんて!」と大いに怒り出し
大学時代、音楽仲間の辻が随分格好いい曲を作ってきた。 「君、何だかボン・ジョヴィみたいで格好いいじゃぁないか」 「そうだろう。そういうイメージにするつもりで、服部緑地でカップルがたくさんいるのを眺めながら作ったのだよ」 辻の中では『ボン・ジョヴィ=カップル』となっているらしい。 「それはご苦労だったね。しかし君のような長髪メタル野郎がいきなりギターを持って側に来たのなら、きっと気持ち悪かったろうね」 「あぁ、すぐにみんな逃げて行ったよ」 他人の雰囲気を壊すという行為が
この記事の続き。 ※ 生まれも育ちも広島だが、大阪で過ごした大学時代が楽しすぎて、卒業後も大阪の人として生きるつもりでいた。 ところが実際卒業すると広島勤務となって、しぶしぶ帰郷した。さらに新入社員研修で居眠りしたのが仇となり、わずか3ヵ月で今度は横浜へ飛ばされた。いよいよ大阪から遠く離れて最初は大いにどんよりしたが、横浜は行ってみると思っていたより随分良い街で大変気に入った。 半年で広島へ戻る約束だったのを、あんまり気に入ったものだからこのまま横浜に居させてほし
横浜開港記念日(6月2日)に託けて、むかし書いたものをリライトする。 ※ 1994年から99年まで横浜に住んでいた。当時は『わくわくパスタ』(仮名)というブラック職場で過酷な労働をしていたものだからこの街にはそれ相応の怨念めいた記憶もあるが、基本的には好きだ。第二の故郷だと思っている。 先日仕事の都合で、昔住んでいた辺りに行った。14年ぶりである。あんまり懐かしかったから少し散歩をしてみた。 かつて『わくわくパスタ』があった場所には巨大マンションが建ち、当時の面