友人に無理矢理シンエヴァ感想文を書かせてみた。
タイトルの通り、この感想文は私(RTG)ではなくエヴァ好きの友人”津田沼”が書いたものです。noteアカウントを持たない津田沼に代わり投稿します。
なお、投稿に際し本人の了承は得ております。
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【シンエヴァ感想文】大人になれない僕らの明日は
考察は無理なので主観的な感想を書く。
庵野監督のことだし本当に終わるのかやっぱり終われないんじゃないかと思って観に行ったら普通に終わった。
終わってほしくなかった気持ちがどこかにあったことに気づいた。しかし、完全に終わらされてしまった。
解放されて放り投げ出されて強制的に卒業させられた。それも、エヴァではない何かからも一緒に卒業させられた。
昔話をする。
小さい頃から特撮、ロボット物、ヒーロー物は好きだった。周囲には同じような趣味の友達が何人もいたから、特に変わった趣味だとは思わなかった。
自分は趣味が少々幼いだけで、オタクではないと思っていた。同級生の中には、もっとディープな分野が好きな猛者がいた(中学一年生にして、毎月、一人で好きなギャルゲーキャラの誕生日を祝う奴等々)。そういうやつらをオタクと呼ぶと思っていた。
オタクと思われることは恥ずかしいことだと思っていた。オタクは精神的に幼い、大人になれない奴らを指すような気もしていて、そうはなりたくもなかった。
そういう微妙な思春期の中で出会ったのがエヴァだった。
記憶を辿る限り、エヴァと向き合うことにしたのは中学生の頃だった。シンジ君達と同じような歳だ。友人が漫画版を持っていて、貸してくれると言った。
その当時のエヴァは、「大人のオタクがどっぷりハマるコンテンツ」であり、「子どもが好きでいても何らおかしくない健全なコンテンツ」ではなかった。その頃は、背伸びをして大人の世界に触れることが大人への道と思っていたから、エヴァを観ることは、「大人のオタク」への道を拓くような気がした。
大人にはなりたかったが、大人のオタクにはなりたくなかった。結局、エヴァはオタクとノーマルの境界線くらいで、ハマっても引き返せるだろうし、大人になるために観るべきと思って観ることにした。
結果、中学生の自分はエヴァにハマらなかった。
アニメも観た。劇場版も観た。エヴァはデザインもかっこよかったし、歌も劇中の曲もよかった。コマ割りもテンポよく斬新で格好よかった。聖書っぽい用語とかも厨二心をくすぐった。雰囲気は圧倒的に好きだった。
しかし、ストーリーは意味不明だった。シンジ君達チルドレンにも、ミサトさん達大人にも、どちらにも肩入れ出来なかった。
田舎のボケっとした中学生には、共感や理解をする前提としての人生経験が圧倒的に足りていなかった。
シンジ君の「最低だ…」というセリフや、アスカの「気持ち悪い…」というセリフや性的なシーンはやたら印象に残ったが、この意味不明なストーリーの何が世の中のオタク達を興奮せしめたのかよく分からなかった。登場人物達も、大人のくせに全く大人じゃないのが気になった。シンジ君がエヴァに乗らなきゃいけない理由もよく分からなくて、逃げてもいいじゃないかと思った。無茶を言ってるのは周囲の大人達だ。
理不尽すぎる展開に、庵野監督は何も考えずに作ったとしか思えなかった。それが一番の感想だった。
高校生になり、アニメはほとんど観なくなったが、西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉といった、いわゆる「0年代」作家の作品にのめり込んだ。
「0年代」の作品は、エヴァに強烈な影響を受けた「ポストエヴァ」世代の作品と言われることもある(アニメだけではなく小説までそうなのかはよく知らないが)。
身近な場所を舞台にしていながら、世界に大きな影響を与えることをテーマにする作品群。それでいて、どこか厭世的であったり、冷めている登場人物達。
高校生になってより自意識過剰になり、拗らせ具合が進んだからなのか、どっぷりハマってしまった。あらゆるものから逃げたくて責任を取りたくない腐った自分の精神性にもマッチした。
その結果、無事に芋臭くて頭でっかちで無気力でインキャな量産型サブカルクソ野郎になった。
この頃にエヴァを見直すことはなかったが、虚無感や無気力感を与える作品の代表格という印象が根強く残っており、自分の価値観に影響を与えているのかもしれないという程度には思うようになった。
サブクソのまま大学に進学し、学生寮にブチ込まれたこともあって、理解不能な人種との強制交流が始まった。人生で初めて真剣に「他人」と向き合わされ、自分の精神の幼さに気付かされた。歳を取るだけでは大人にはなれなかった。オタクになりたくないと思いつつも、オタクが抱えているであろう精神性を自分も抱えていた。
オタクになることが問題ではなかった。精神的に成長していないことが一番の問題だった。
もう一度、自分のアイデンティティを構成したものと向き合う必要があると思った。
エヴァも一から見直すことにした。もう、エヴァを見ることがオタクかどうかはどうでもよかった。もっとも、エヴァはいつの間にか市民権を得て、エヴァを観たくらいじゃオタクじゃないという風潮が広まりつつもあった。
二度目の鑑賞。
相変わらずストーリーは難解だった。でも、今度は逃げずに観れた。登場人物に欠けているものを受け止められた。
あれだけ理不尽に見えた大人達は、弱さから目を背け切れずに大人になろうともがいていただけだった。自分にも共通する弱さがあった。
今度は共感できた。
それでもやはり旧劇は辛かった。
主人公は大人達ではなく、シンジ君であり、レイであり、アスカたちチルドレンだ。彼らの幸せを願わないわけがない。作られた作品の中でくらいハッピーエンドで終わって欲しい。理不尽さに耐えた救いが欲しい。そういう期待は全て裏切られていた。
特にラスト。シンジ君が他人との距離に耐えきれず、補完を願ったことから、皆がLCLに還元されて一体となり、心の壁が壊れてお互いが補完される世界になった。
しかし、シンジ君は、葛藤の果てに他人のいる世界を望んで還ってきた。他の皆も、望めば還ってくるはずだったが、誰も還ってこなかった。還ってきたのはアスカだけだった。アスカだけがシンジ君に補完されることを拒絶した。シンジ君はその事実に絶望し、咄嗟にアスカの首を絞めた。
他人を求めたのに、他人を受け入れられなかった。アスカはシンジ君を拒絶はしたが、殺されることは受け入れた。それを観たシンジ君は、殺すのをやめてしまった。アスカは、そんなシンジ君のどうしようもない姿に「気持ち悪い」と呟き、話は終わった。
シンジ君はどうすれば良かったのだろう。庵野監督は、最後まで、登場人物達の救いや居場所を示さなかったし、他人との関係を築けないままに突き放して終わった。作品自体がATフィールドみたいだった。
二度目のエヴァも、楽しむ、という観点からは遠いままに終わった。
しかし、こういう見方ができたことに意味があるような気がして、受け入れようという気になれた。
それからしばらくして、新劇場版が公開された。
序は、ほとんど旧劇のリメイクだったが、作品や鑑賞者への誠実さを感じた。庵野監督の人間的な成長を感じた。その気持ちは破で更に大きくなった。
今度こそ、エヴァはちゃんと終わる。人に向き合う作品になると思った。
気付けば、エヴァという作品の精神の成長に期待する自分がいた。自分の精神の成長も重ねていたのかもしれない。
その感情は、Qで見事に裏切られたわけだが。
映画館を出て、最初に口から出たのは「庵野監督は何も成長していないのではないか」という一言だった。
シンジ君に降りかかる理不尽の数々、ようやく自分の意思で決めたことすら裏目に出続ける、何一つ救いのない話。
庵野監督は、また旧劇を繰り返そうとしているのか?作品に、鑑賞者に不誠実になるのか?
エヴァは、終わらないし、終われないと思った。
観客は成長しようとしているのに、庵野監督だけが時を止めるのかと思った。
それから九年待った。
待つうちに、この成長しきれない感じもエヴァなのではないかと納得する境地に至っていた。モラトリアムを続けている感覚というか、成長しなきゃいけないことはわかっているのに、成長できないもどかしさ自体を楽しむコンテンツに昇華されかけていた。
二次創作や考察といった閉じた箱庭で遊ぶ、終わらない青春のコンテンツと思いつつあった。
そんな折、ようやくシン・エヴァは完成した。
ネタバレが嫌で自分の目で判断したいから、公開早々に観に行くことにした。そこで冒頭の感想に戻る。
庵野監督は、確かに成長していたのだ。
シンジ君達チルドレンを解放して居場所を見つけ出し、大人にならせた。大人達も、弱さから逃げずに立ち向かった。
庵野監督は、圧倒的にエヴァを終わらせた。
かつてはこの終わりを皆待ち焦がれていたはずだった。それが順当に来ただけだ。
おめでとう、ありがとう、よかった、それでいいはずだった。エヴァは終わらなければならないコンテンツだった。庵野監督や登場人物達の成長を待ち望んでいたはずだった。実際、終わって本当に良かったと思った。
ただ、なんとなく、モヤモヤが残った。
いきなり、置いて行かれたような気になった。
作中で、14歳からいきなり28歳になったが、まさにその感じだ。
昨日まで一緒に遊び回ってた我儘な友人が、今日には分別のある大人になっていたのだ。困惑しないわけがない。
しかし、人はある日突然大人になることもきっとある。シームレスではない。
ゆっくりと一緒に成長し続けたかったが、一方的に別れを告げられた。
こうして、エヴァから卒業し、自分の青春の一部からも卒業することになった。
未だにこの気持ちの置き所は見出せないが、まずはさよならを言うべきなのだろうか。
劇中で、さよならはまた会うためのおまじないと言った。
せめていい友人として再会できることを願う。
この感想文を友人に書かせた経緯は、以下の記事にまとめています。