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「今度はお前が書いてみろ」



言い放たれた俺の言葉に、津田沼が固まった。

「え、俺が書くの?君じゃなくて?」

「そうだ。この話は俺が書いても意味がない。お前が、お前自身の言葉で、書くべき事だ」

確信を込めて、俺は言い切った。



― ― ―

※”シン・エヴァンゲリオン劇場版:||”および、他の新劇場版エヴァのネタバレを少々含みます。


殺人的な忙しさの年度末、23時に帰宅した俺のもとに悪友津田沼からの電話が鳴り響いた。
明日の休日出勤に向けてさっさと寝ようとしてたのに、何てタイミングで掛けてきやがる。舌打ちをしながらスマートフォンの通話ボタンをスライドさせた。


「あーもしもし、竹井(俺)君?」

「ああ。悪いけどこれから寝るとこなんだわ、明日も仕事なもんで。用事があんなら手短に頼む」


「シンエヴァ観に行こうぜ!!!そんで俺に感想聞かせt「寝るわ」」


丁重に就寝宣言を叩きつけて通話終了ボタンを押した。「明日も仕事だから」という人の話を聞かない無礼者への礼儀など、この程度でも釣りが来る。
間を置かずして再び着信が来たが、今度はスマートフォンの電源ごと落とした。人の話を聞け。


それにしても、そう言えば。

津田沼の言葉で思い出し、思わず口に出した。


「もう公開してたんだっけな、最終章」


― ― ―


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q を観に行ったのは、今から九年も前のことだ。片や東京の高給取り、片や九州の勤め人となってしまったが、あの頃は津田沼も俺も東京の大学院生だった。
俊才の誉れ高い、それでいて大学院の鬱屈した雰囲気と価値観に疲弊していた津田沼は、落ちこぼれの俺をはじめとする何人かの学友を誘っては、どこかしこに遊びに繰り出していた。

”Q”鑑賞もその一環だった。熱心なエヴァ好きの津田沼は、Qが公開されるや否や俺たちを映画館に誘った。
さほどエヴァに興味のない俺は、新劇場版は”序”こそ観たものの”破”は観ていなかった。映画館までの行き道、津田沼が熱っぽく序のおさらいと破のネタバレを語るのを予習代わりにして、津田沼たちとQを鑑賞した。

観るほどに、暗澹たる心情になった。
観たあとは、言葉を発する気にもなれなかった。

俺が観た”序”も、津田沼が楽しそうに語った”破”も、旧エヴァの陰鬱さを吹き飛ばすド派手なロボットアクション活劇だったはずだ。

だというのに、今回の、救いのないストーリーは、何だ。
またしても、エヴァの世界は救いのない結末へと収束してしまうのか。
映像美の極地とも言える技術を惜しみなく用いて、結局絶望しか描かないというのか。

俺自身はエヴァに特別な思い入れはないし、自分が好きな他のコンテンツのように深い考察をしたこともない。
だが、流石に思わずにはいられなかった。

ふざけるんじゃねえ、と。


映画館を出た俺たちは、御通夜のように沈痛な面持ちをしていた。
誰もが、押し黙っていた。

やがて、下を向いたままの津田沼が一言だけつぶやいた。


「・・・何も成長していない・・・・・・」


安西先生のパクリじゃねえかというツッコミを入れる気にはなれなかった。
むしろ、その言葉はその場の全員の総意だった。

何も成長していない。
何も成長できていない。
エヴァを再びバッドエンドに導こうとする庵野も、大学院に閉じ込められたきり社会に出れない/出ようとしない俺たちも。

そして、どういう経緯があったのか知らないが、エヴァという沼にガッチリと嵌まった――いや、嵌められてしまった、津田沼も。


何も成長していない。
津田沼の呟きに言葉を奪われた俺達は、無言で帰り道を歩いていた。

長過ぎる帰り道は、無理矢理に引き伸ばされたモラトリアムの具象化に思えた。


― ― ―


津田沼の電話を打ち切った次の週の土曜、昼過ぎ。
日付変更線をまたいだ残業で休日のサービス出勤を回避した俺は、ひとり映画館に向かった。

自分からは進んで観に行こうとは思わなかったコンテンツ。
だが、九年前に津田沼と、あいつらと一緒に観た、コンテンツ。
その結末を見届けて、津田沼に感想を聞かせるのも、悪くない。

”シン・エヴァンゲリオン劇場版:||”と印字されたチケットを係員に渡し、俺は入場ゲートを通過した。


― ― ―


三時間ほどの上映が終わった。

説明抜きで挿入される難解な専門用語と、その疑問を吹き飛ばすほどにド派手で美麗な映像技術。いい意味で、九年前と変わっていなかった。

しかし、ストーリーの流れは変わっていた。
シンジに代表される子どもたちも、ゲンドウに代表される大人たちも、そのどちらもが、各々の抱える弱さと向き合う強さを得ていた。
不器用ながらも確かな強さを備えたキャラクター達は、自身のエゴをぶつけつつも相手のエゴから目をそらさなかった。建設的と称すべきエゴのぶつけ合いは、やがて相応の形に収束していく。

それは、烈しいカタルシスをもたらす結末ではない。
だが、二十年以上に渡り戦い続けてきたキャラクター達と、その戦いを追い続けてきた視聴者に、深い納得をもたらすものだと感じた。



そのうえで、疑問が残った。
作品に対してではない。津田沼に対しての疑問だ。

俺の感想など、所詮はエヴァのバックボーンも知らなければさしたる思い入れもない俄(にわか)の所感でしかない。極論、俺がいくらこの作品に対して言葉を重ねたところで無意味と言っていいだろう。


俺がさほど興味を示さなかったエヴァに、津田沼は、なぜ惹かれたのか。

津田沼は、エヴァというコンテンツの何によって、その精神をカタに嵌められたのか。

やはり、この作品への十全な感想は、エヴァという沼に嵌められ、ずっとエヴァを追い続けてきた、津田沼のような人間にしか語れないのではないか。


早々に映画館を後にしながら、そんなことを考えていた。


― ― ―


その日の晩、津田沼に電話を入れた。


「シンエヴァ観てきたわ」

「おお!どうだった、感想は」

「その前にちょっといいか。お前の話を聞きたい」

感想をせがむ津田沼を制し、問いかける。


「新劇場版全編通じてなんだが、なんでお前はエヴァを観ろって俺に勧めてきたんだ?

「え、そりゃあ誰かと感想を話したかったからだよ。あとは昔の仲間たちで観に行った映画の続きだし」

こちらの言葉が足りなかったらしい。
俺はもう少し噛み砕いて質問を続けた。

「それくらいは俺にもわかる。俺が聞きたいのは、お前はエヴァというコンテンツのどこに惹かれたのかって話だ。正直、俺一人だとエヴァはまず観に行こうと思わんのよ。そこまで興味あるコンテンツじゃないんだわ、俺にとっては」

「・・・そうだねえ。一番の理由としては、俺はセカイ系のコンテンツが好きなんだよ。自意識過剰なくせに無気力で無責任だった、昔の俺の精神性にマッチしていた。セカイ系作品が一番盛り上がっていた頃に思春期を過ごした世代であることも大きいな。
だから、セカイ系の始まりであり、集大成でもあるエヴァは俺にとって外せないコンテンツなんだ。はじめてエヴァを観たのは中学の頃で、ストーリーは理解できなかったけど雰囲気はすごく好きだった。俺がサブカルに目覚めた最初のきっかけだし、俺にとっては人格のルーツの一つなんだと思う

俺は口を挟むことなく、津田沼の話に耳を傾けた。

「エヴァは終われないコンテンツだと思ってたし、俺にとっては終わってほしくないコンテンツでもあったんだ。シンエヴァ最終章公開を聞いたときは、本当に終わってしまうのか、って思ったよ。
大袈裟かもしれないけど、俺にとって最終章を観に行くのはある種の勝負だった。ダラダラ引きずってしまった青春の清算になりうるのか、今後もエヴァという名のモラトリアムを引きずらないといけないのか、という勝負だよ」

後半の言葉を聞いて、やはり、と思った。


やはり、コイツのエヴァに対する思い入れは相当なものだ。
エヴァという終わらなかった/終われなかったコンテンツと、不完全燃焼が長らく続いた自身の青春を重ね合わせ、エヴァを自身の属性の一部と同一視するまでに、その思い入れは根深く、こじれたものとなっている。

その有様を痛々しいとは思わない。むしろ、コンテンツの摂取の仕方としてはそれこそがあるべき姿だと思う。
自分と重ね合わせるほどに入れ込んだコンテンツ。それを語ることは即ち自分を語ることにつながるコンテンツ。それを誰かと語りたい、誰かに聞いてもらいたい。
誰にでもひとつは、そういうモノがあるはずだ。


だからこそ、津田沼には資格がある。

自分が入れ込んだ何か。誰かと語りあい、共有したくてたまらない、何か。
その”何か”を、ひいては、それに入れ込んだ”自分”を語り、公開する資格がある。


「・・・まあそんな感じでさ、俺にとっては特別な作品なんだよ、エヴァってのは。だから誰かと語りたいんだよね。ちょうどnoteでもシンエヴァ感想文を募集してるでしょ?竹井君のnoteのネタにもなればって思ってさ」

津田沼が言い切るのを待たずして、俺は口を開いた。


「津田沼、noteを書け」

「え?」

今度はお前が書いてみろ、津田沼


言い放たれた俺の言葉に、津田沼が固まった。

「え、俺が書くの?君じゃなくて?」

「そうだ。この話は俺が書いても意味がない。お前が、お前自身の言葉で、書くべき事だ」

確信を込めて、俺は言い切った。

「い、いやいや無理だよ。俺は君と違って文才がないし、第一どういう風に書いたらいいかわかんないよ。書けたとしても、人様に見せらんないお粗末なものしか書けないに決まってるよ」

「そんなもんは全部関係がない。いいか、全部だ。全部関係ない」

津田沼が慌てふためいて拒絶するが、そんなお決まりの言い訳を聞くつもりは最初(ハナ)からない。俺はさらに畳み掛けた。

「誰かと語りたいモノがある。誰かに聞いてもらいたくて仕方ないモノがある。それを外に出したくて仕方がないから話すし、書く。それが表現だ。技術や文才が無いから書けない?勘違いもいいところだ。書きたいから書く。しゃべりたいからしゃべる。表現に必要なのは技術じゃない、それを出さずにはいられないという熱量だ。お前にはその熱量がある、だから条件は整っている。書け

一気にまくし立てたあと、俺は再び続けた。


「覚えてるか、津田沼。お前と原ちゃんとで、俺にnoteを書けって言ってきた事を」

「・・・ああ、覚えているよ」

「あん時お前がなんて言ったか、覚えているか」

「・・・いや、悪いけど思い出せない。正直あの時は酒に酔ってたし」

「だろうな」

苦笑いしながら、俺はパソコンを操作してひとつの記事を開いた。
俺がnoteを始めた経緯をそのまま綴った、俺のnote初投稿記事。



その中の二つの文を、そのまま朗読した。


「君、表現したいもんがなんかあるんじゃないの?だったらなんでもいいから書きなよ、まずは」
「君は文章で表現できるし何より表現したがってんじゃない。だったらやりなよ、いつまで尻込みしてるんだよ」


通話先の向こうで、津田沼が呻くのが聞こえた。


「ひっでえブーメランだね、コレ・・・」

弱りきっているが、正鵠を射られたことを認める態度でもある。
ならばあと一押し、そう思ったところで津田沼が悪あがきをしてきた。

「でもさ竹井君、前にも言ったけど俺は”高等遊民”でいたいんだよ。俺がやりたいのは面白いモノの高みの見物であってだね、自分から何か表現するだなんて俺のガラじゃないんだよ」

知らん。この期に及んでそんな惰弱な言い訳は認めねえ。何より」

津田沼最後の悪あがきを一蹴し、一区切りする。

そして、誠心誠意を込めて、とどめの一撃を見舞った。


「何より、エヴァに入れ込んだお前のエヴァ語りを俺が読みたい。面白い文章は技術じゃなく、書き手の人格の面白さに由来する。エヴァに入れ込んだサブカルクソ野郎の津田沼は面白いヤツだ。面白いヤツが書いた文章は面白い。だから書け。書いて、俺に読ませてくれ」


何秒かの沈黙。
やがて、通話口からため息が聞こえてきた。

それは、津田沼の上げた白旗だった。


「わかったよ、書くよ。でもnoteのアカウントを作る気はないから、ラインで竹井君に草稿を送るよ。そこからは誤字脱字とかの手直しを重ねていって、最終稿を”RTG”のアカウントで公開しよう。それでいい?」

「それで十分だ。がんばれ、俺は楽しみにしてる」


それで通話は終わった。


通話が終わったあと、ひとりでに口角が上がっているのを自覚した。


― ― ―


数日後、津田沼から長文のラインメールが送られてきた。

いくつかのパラグラフに分けられたのみで改行は一切されていない、津田沼のエヴァ感想文。
それを一読し、俺は大きく頷いた。


案の定だ。
やはり、面白い。
友人の贔屓目は最初から捨て、ただ文章の甲乙だけを見るように努めている。その目線で見ても、これは良い文章だ。
淡々と事象と思考を綴っているが、淡々と綴るからこそ読み手の側に余韻を与えるタイプの文章。情動に訴える俺の文章とは異なるが、十分にひとつの良さとして成立している文章だと思った。


その後も、推敲は何度か続いた。
津田沼と、竹井(俺)と、三人目の悪友である原を交えての推敲だ。


津田沼
「記事内タイトルなんだけどさ、

①【シンエヴァ感想文】大人になれない僕らの明日は
②サブカルクソ野郎のワクワククソ日記!シンエヴァ観たよ


のどっちがいいかねえ。あんまりオシャンティ過ぎるのも気が引けるんだよね」


「僕は②が良いな。単純にインパクトあるし面白いよ」

竹井
「いや、俺は①を推す。②は俺達や俺のnoteの常連客なら笑えるけど、津田沼を知らない初見の人間には向いていない。ここは少しでも読者の間口を広くしよう。オシャンティ上等だ」
津田沼
「サブカルクソ野郎って自称するとこ、サブカルクソ凡人、略して”サクソ凡”ってのもアリかなって思うんだけどどうかな」

竹井
「俺はアリだと思うなあ。個人的にはそこそこツボだわ」


「う~ん、普通にサブカルクソ野郎の方がいいと思うよ。サクソ凡は単品だと面白いけど、いざ文章を読んだらこの言葉だけが浮いちゃうね。他の情報が霞んでしまうよ」


ハタ目には滅茶苦茶な会話に見えるかもしれない。
だが、俺達は真剣だった。

少しでも、元の文章の面白さを損なうことなく、さらに面白く仕上げたい。
少しでも、津田沼の書いた良い文章を、多くの人の目に触れさせてやりたい。

その一心で、俺達三人はグループライン上での推敲と議論を重ね続けていた。



― ― ―


「これで、最終稿だね」

ライン上での推敲と改行を終えた日、津田沼が感慨深そうにつぶやいた。

「なんだかすごく疲れたよ。竹井君はいつも一人だけでこんな大変な事をやってきたんだね」

「まあなあ。でも、しんどいだけじゃなくてやっぱり面白えからな、なんか書くっていうコトは。いざ書いてみて、お前もそう思わなかったか?」

「・・・そうだね、楽しかった。竹井君や原君と推敲するのもそうだけど、自分の考えを文章にまとめるのって楽しいんだなあって思ったよ」


「それにしても、やっぱり面白いよねえ。津田沼君の感想文」

三人目の原が口を開く。

「ちゃんと自分の思いを人様に見せられる形にしていてすごいと思うよ、本当に。淡々とした語り口なのに濃厚な内容だし、もはやアニメの感想文じゃないよね。もちろんいい意味で」

原はいつも、俺のnoteに感想を寄せてくれる。
感想を寄こすという点では津田沼も同じだが、津田沼はどちらかというと端的な感想が多い。
それに対して、原は素朴に、それでいて簡明に、記事への感想と面白さを伝えてくれる。noteで記事を上げはじめて以来、俺はいつも原の飾らない感想に支えられてきた。

「なんだかありがたいねえ。竹井君もそうだけど、原君に褒めてもらえるのってこんなに沁みるもんなんだね。高等遊民気取りじゃ味わえなかった喜びだよ」

しみじみと語る津田沼に、全面的な同意を示す。

「全くだ。身内でも何でも、とにかく”面白い”って声があるから書けてるんだよ。原ちゃんのようなヤツが俺達書き手には必要なんだ」

「え、そんな大層なもんじゃないよ。僕は自分の思ったことそのまま言ってるだけだもん」

「今後もそのまま思ったことを言ってくれ、原ちゃん。それが書いたヤツにとっては一番のご褒美なんだ」




「じゃあ、そろそろ投稿するか」

「ちゃんと読まれるかなあ」

不安げな津田沼に、ありのままを伝える。

「正直約束はできねえ。代わりに投稿する俺自身が弱小の書き手だし、スキがいくつもらえるかもわかんねえ。タイミングが悪けりゃ三つ四つで終わるかもしんねえ。だけど」

一拍置いて、続けた。

「今回津田沼が書き上げたこれは、良い文章だ。良い文章かどうかだけを基準にnoteの記事を読み漁って、自分でも良い文章を目指して書いてきた俺が保証する。お前が書いたこの文章は、面白い


じゃあな、と言い残し、グループラインを離れた。


そのままnoteを立ち上げ、すでに画像を添えた記事の編集ボタンを推す。

いくつかのハッシュタグをつけて、記事投稿ボタンを押す。

その直前に、一息ついた。





津田沼にはああ言ったものの、やはり、一人でも多くの人の目に留まってもらいたい。
そう願わずにはいられない。



顔も見知らぬnoteの皆々様、今回は自分のダチがエヴァンゲリオンについて語る面白い記事を書きました。

所詮はダチの贔屓かもしれませんが、やはり面白い記事だと思います。

どうか、目に留まったときには読んでやってください。





初投稿のあの日と同じ、誰に捧げるものかもわからない祈り。

それを、どこかの誰かと自分に捧げ、記事投稿のボタンを押した。



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