ぽっちゃ

アラサーの女。 パニック障害、うつ病治療中 復職や休職を繰り返しています。 Body…

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アラサーの女。 パニック障害、うつ病治療中 復職や休職を繰り返しています。 Body neutralな考え方を受け入れられるようになりたい

最近の記事

体調の波

パニック障害 うつ病で現在休職、療養中ですが。 一番体調の悪かった時期は越えたと思いますが。 未だに希死念慮が消えないんです。 働けていない状況、だんだんと無価値に思えて。 特に気圧や悪天候の日には希死念慮が消えないんです。 死ぬ勇気がないから、自殺に失敗するのが怖いから。 楽に死ねる方法ないかなって考えてしまう。 死ぬのではなく、存在自体をこの世から消してくれないかなって頭の中をぐるぐる考えが巡っています。 親や家族に迷惑をかけていることはわかりますが、この苦

    • パニック障害とうつ病を抱える女の恋愛

      パニック障害とうつ病と闘っていて、自己肯定感がとても低いです。 病気になって、それまで強い孤独感や劣等感を感じていた自分自身の心の声に耳を傾けたとき、「誰かに必要とされたい」という思いが強かったです。 病気だと診断される以前から、自己肯定感が低く恋愛に消極的でした。 自分自身が嫌いな女を誰が愛してくれるのだろう。デブな女を誰が愛してくれるのだろう。 とずっとマイナスに考えていました。 今でも自分の安定しない体調、時々考えてしまう希死念慮、ぽっちゃりしたこの体型も嫌だ

      • 復職

        体調が安定してから会社に復職をしました。 通院や服薬は続けながら。 最初はまたがんばろう。と思えていました。 だけど、体調の波が徐々に大きくなっていきました。 業務内容や会社が合っていないとわかっていながらも復職した経緯は、転職する気力がもう残っていなかったからです。 それから何度か休職、復職を繰り返ししてしまいます。 一番の解決方法はきっと退職だと思いますが…未だにそれを選べず。 結局、抑うつ状態だった診断もうつ病となり、現在もパニック障害とうつ病と闘っています。

        • 突然の休職

          突発の休職に入り、パニック障害と当時は抑うつ状態と診断され、療養と治療を開始しました。 休職に入ったばかりの頃は、仕事を休まなくてはいけない罪悪感と終わりの見えない体調の悪さに消えてなくなりたい。と死んでしまいたい。と何度も思いました。 薬が効くまでに少し時間がかかるので、それまで何度も泣き出していたり、希死念慮が消えなかったり、動悸や目眩で病院にも一人で通院することが出来ない状態になっていました。 元々低かった自己肯定感はさらに低くなりました。 まともに働くことも出

          限界と気付いた時

          余計なことを考えて、気分は沈み 自己肯定感はどんどん低くなっていく中、 緊急事態宣言が解除され、通常通りの業務に戻ることとなりました。 仕事に戻ってからはプライベートの余計なことを考えるよりも、コロナ感染に対する恐怖や不安感が強く、多くの人と接する仕事であるため日々強い不安感を感じていました。 これまでのストレス発散方法が仲の良い友人(主に仕事仲間)と飲みに行ったり、食事に行くこと、ランチを一緒に食べることで発散出来ていたものが 当たり前ですが、全面禁止となり 抱えて

          限界と気付いた時

          コロナ禍による精神面の体調悪化

          職場で時折、過呼吸や感情のコントロールができない中で、体調はおかしいと気付いていながらもなんとか仕事を続けていました。 そんな最中、世界でそして日本でコロナが流行り始めました。 日本国内でコロナ感染者が、徐々に増えていく中でいつか自分も感染してしまうのではないか。という不安も強く感じていました。 そして、4月に入り、緊急事態宣言が発令されました。 私の部署は在宅ワークが難しい仕事なので、交代勤務という形で4月はほとんど自宅待機する時間が多かったです。 職場での不調を

          コロナ禍による精神面の体調悪化

          体調の変化

          そうしてしばらく、仕事内容に違和感や嫌悪感を感じながらも働いていました。 毎日仕事の朝は早めに電車で通勤し、会社最寄り駅のトイレで腹痛と戦う日々を送っていました。 これは仕事に対するプレッシャーや不安感による過敏性腸炎のようなものだと思います。(休職し、治療を開始してから毎朝の腹痛は治りました) 職場の人が良いから何とか続けられている仕事でしたが、一年、二年と過ごしていると徐々に同世代の仲の良い先輩、後輩の退職が続くようになりました。 私の部署にいた仕事の良くできる新卒

          体調の変化

          転職後の話

          不満があった前職から、転職をし最初の頃は順調だったと思います。 この転職先が後に休職をすることとなる会社です。 転職先では、業界や業務内容もこれまでとは全く異なり、とても頭を使う業務、神経が比較的張りつめているような業務内容に変わりました。 転職当初は不満があった前職から新しい環境に飛び込んだこともあり、はやく仕事を覚えなきゃ。慣れたい。と一生懸命働いていました。 おそらく人間はそれぞれ抱え込めるストレスのキャパシティがあるんだと思います。 転職当初から若干の違和感を感

          転職後の話

          社会人生活の始まり

          表向きにはプラス思考に考えられるようになった大学生活を経て、就職し社会人生活が始まりました。 新卒で入社した会社は後に3年も経たずに退職するのですが、この会社員時代も比較的に精神状態は安定していたと思います。 酷い過呼吸発作を起こしたのも、入社してすぐに配属され、半年くらいいた部署の上司に挨拶を無視されたり、若干のいじめのようなものを受けた時以外はほとんど過呼吸発作を起こすことはなかったと記憶しています。 入社したばかりの頃の部署の上司に若さゆえにやや生意気に思えた態度

          社会人生活の始まり

          環境の変化

          酷く不安定だった中学、高校生時代を過ごしました。 過呼吸になったり、 自分が自分でなくなるような感覚で怖くて発狂してしまったり 突然唾液の飲み方がわからなくなりパニックになったり。 あの時ちゃんと病院に行っていたら。今とは違う人生だったのではないかと悔やむことは今でもあります。 しかし、当時なぜ病院に行くという考えに至らなかったのか。 それは母親と姉の影響がありました。 私が中学時代に「うつ病」と診断された母親は「薬では解決できない」「環境を変えれば良い」という

          環境の変化

          パニック障害の始まり

          生い立ち② 中学入試を経験し、中高一貫の女子校へと進学をしました。 勉強は好きではありませんでしたし、厳しい校則の学校だったので生きづらさを感じていました。 私が病気になった根源は、振り返れば中学2年生頃からなのかと思います。 それまでは広く綺麗な一軒家で暮らしていました。しかし、母親のうつ病が悪化したため環境を変えるという意味で急遽、それまで暮らしていた広い自室のある一軒家とは違い、自室は四畳の酷く狭く、リビングも今までとは違う狭いマンションへと引っ越すこととなりまし

          パニック障害の始まり

          私がパニック障害、うつ病になった話~生い立ち編~

          私はしがないアラサーの女です。パニック障害と正確に診断されたのは今から2年前。それから後にうつ病とも診断されています。 noteに今までのことを記すことによって、自分自身の感情、精神をデトックスする意味と 同じように病気に苦しんでいる人やその家族にこんな人もいるんだよと思っていただけたらと思い、noteを書きます。 拙い文章であることお許しください。 生い立ち① 比較的、金銭面における家庭環境には恵まれている方なのかと思います。お金で苦労したことは一度もありません。

          私がパニック障害、うつ病になった話~生い立ち編~