最後の育休日を迎えて思うこと

最後の育休日。
今日で育児が終わるわけではもちろんないけど、なぜか寂しさがある。

仕事に戻りたくないわけではない。
無制限にあったかのような子供との時間が、そうじゃないってことに気付かされる。

前回育休は人生のボーナス期間のようなものって書いたけど、
改めて何が自分の中に変化としてあったかをまとめたい。

まず一番大きいのは、子供への愛が深まったこと。
一日中一緒に過ごすことで、子供の成長を日々感じることができたし
できなかったことができるようになる瞬間や、悔しいんだとか我慢してるんだって感情がわかる瞬間にとてつもなく愛情が湧く。

仕事から帰ってきて妻からこんなことがあったと話を聞くのとはまた違う、圧倒的な親としての当事者意識が芽生えていた。
仕事もそうだけど、実際に手を動かしたことと頭の中で理解していることは手触りが違う。
子供も日に日に変化していく中この時期に、一緒に過ごせる時間が取れたことは貴重だった。

次は育児や家事への関わり方の変化。
これまではどうしても仕事が入っている間は育児家事はできないもの、として考えていた。
「だって仕事だから仕方ないじゃん?」って平気で思っていた。
でも当事者意識がつくと、じゃあできない間子供や家のことはどうするんだ?ってなる。
もちろん妻はいるのだけど、一人では限界があるし押し付けていいわけがない。仕事ってのは言い訳にならないんだなって感じている。
仕事は絶対的に優先しないといけないものじゃない。
もちろん優先度としては高いけど、家族の状況を見て仕事と家庭のバランスはその都度考えていかないといけないものだと認識した。

最後は支えてくれている人たちがいると実感できたこと。
出産前に妻が1ヶ月入院したこともあり、仕事をしながら子供の面倒を見ることがどうにも難しかった。
そこで僕と妻のお互いの母に家にきてもらい家事や子育てのサポートをしてもらった。どちらの母も仕事はしているが、娘息子のために長期間家を空けて交代で駆けつけてくれたのだ。

仕事では、リモートワークの許可や産後の育休など忙しい時期にも関わらず快く認めてくれた。この間も僕の上司は僕の仕事の分まで働いてくれている。

それ以外にも、子供を産むときには不自由なことが多く、街中でさっと道を開けてくれたりとか、タクシーの運転手さんが荷物を運ぶのを手伝ってくれた。ベビーカーを引いているとドアを開けてくれる人がほとんどだった。

ほんと、みんないい人ばっかり。悲観的なことばっかり言う人もいるけど、日本捨てたもんじゃないよね。
弱い立場というか、助けが必要な立場になって改めて人の支えとかをより実感できた。自分がこの優しさを社会に還元できるようにしないと色んな人に顔向けできない。
復帰したら仕事も一生懸命しないとだし、家族とのコミュニケーションももっと丁寧にしたいし、困っている人を見つけたら手を貸してあげようって自然に感じさせてくれる体験がたくさんできた。

色々書いたけど、楽しいことや幸せなことだけではなかったw
子供はイヤイヤ期でもあり、家事も育児もすると体力的にもきつい時はある。
周りが色々遊んだり、好きなことしてたりすると自分の時間が取れないことに焦ったりもする。
でもどんな環境でも、その中で自分がどう工夫するかだけだもんね。
子育てをしているから得られていることがあるから、失うものもある。当たり前だ。
でもだからって全てを受け入れるのではなく、自分が常にご機嫌でいられるような環境に自分で変えていく。
今は朝5時に起きて子供が起きるまでの時間を自分時間に使っている。

今も書きながら横で赤ちゃんがぐずり出しそうだw
こんな感じで、自分の中では色々と気づきのある時間となりました。

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