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校則で髪型・髪色が縛られていることを本質的に疑問視してみる。

お久しぶりです!!村上翔平です!

今回は数ヶ月前に少し話題になった校則問題について、議論はされていたが、結局のところ髪のことが大好きな人のポジショントークとそれ以外のお話になっていた為、多くの人の心には響かなかったのだと思います。

だから今回は本質的なところからなぜ、髪型を気にした方がいいのか、学生が生活を送る中でどんないい影響を与えてくれるのか書いていこうと思います。

前提

まず前提として、学生のヘアセットやカラーが禁止になったのは明らかに昔のヤンキー文化の影響でしょう。ケンカをしていたり暴走族のような人は確かに金髪やリーゼント、モヒカンのような派手な髪型で写真は今もまだTVなどで観ることがあります。

おそらく禁止になったのはその辺りが原因と考えると少し疑問が残ります。

今もまだそんな時代なのでしょうか?

若者の間でケンカやツッパることが重要視されているでしょうか?

金髪の人が器物破損や迷惑行為をしているでしょうか?

つまり、校則がすでに時代にマッチしていません。

それはむしろ人間として生きるうえで弊害さえ生んでいます。

校則が奪ってしまっているモノ

まず校則による縛りで生徒が得ることができなくなっているものをみていきましょう。校則は一体何を奪ってしまったのでしょう。

私は大きなモノとしてあると思います

① 取捨選択の思考能力

② 生まれつきの容姿をよく見せる技術・他者のためのオシャレをするということ

③ 正解主義からの脱出

①に関しては選択といった一つの思考能力が髪型を構成していくうえで必要になってきます。 それらは数ある中で選択する能力であり、日常的に非常に大切なものです。現在は多くのことが既定のレールの上にありますが社会で生きるうえで既定のレールに従うこと以上に取捨選択を最適にすることが重要になると考えます。

②はなぜ髪をセットをするべきかというマインドセットになるのですが、社会に出る際、清潔感のない髪型・相手に不快感を与えるような髪型にならないようにすることは非常に重要だと考えられます。学校の役割に社会に出るための訓練があるのだとしたら、このこともしっかり教えるべきでしょう。

③学校では勉強をはじめとする正解のあるものを多く扱っています。それ自体は問題ありませんでしたが、生きていくうえで、正解のないものばかりが人生の壁として出てきます。それを知るための手段として髪や服があってもいいと考えます。


現実問題

ここからは理論的なものではなく、実際に学生の頃体験したものから感じ、問題に感じたことを書いていきます。

①髪型をはじめとする見られ方を気にしない人にはコミュニケーション能力が低い人が相対的に多い

私は学生生活を送ってきた中で一番感じたのがこれです。どれだけ勉強が出来ようと他人に不快感を与える見た目を気にしない人はどんな集団の中で生きていくには困難でしょう。それは見た目だけでなく、態度や言動にも現れ、人たら好かれるチャンスを自ら奪っています。

②多種多様なモノを受け入れ、肯定する能力が低い。

これは与えられた『勉強』という指標が大きく可視化しやすいモノだから生まれるモノでありますが、その大きな指標を正解として生活しているとその道から測れないモノに対して否定的になる傾向があります。

しかし、それでは新しくより快適なサービスや商品が生まれづらい環境になってしまいます。例えばスティーブ・ジョブズやマークザッカーバーグは大学を中退してますし、アーティストなど勉強という指標で測れば決して大したことはない経歴の人もいます。

しかし、それらを理解したうえで、目の前の指標で人を推し量る人が多いです。それがとてももったいない。


私の考える新しい校則


校則で限定する髪に対する下限を決める。

これは至ってシンプルで、現在の校則はオシャレを楽しみたい子に制限をかけ、興味のない子には制限がかからないようになっています。

しかし、上記で示したように相手に失礼のないような身嗜みをすることも当然社会に出て、生活をしていくうえで大切です。

だから、オシャレを制限することと同時に見た目に不潔感が出ている生徒をなくす運動も必要であると考えます。


今回校則に関して、髪型を制限することで、秩序や風紀以上に人間らしさや社会的なマナーを見失っていることを書かせてもらいました。

私は『美容師』ではありますが、今回はかつて、学生であったときのことを思い出し、また、学校を卒業した社会の一員としての目線から書かせてもらいました。

ではまたいつか。




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