日本の体育文化の始まりは「兵隊養成」

前回の記事では体育の授業のガチガチ感と、それをゆるめる「ざっくり体操」について書きました。学校教育にも「ざっくり体操」を導入したら絶対楽しいです。でもそもそも、なぜ日本の学校体育にはゆとりがなく、肩身のせまい思いをする子が多くなってしまうのでしょうか。今日は、日本体育の起源と、世界のスポーツに対する考え方を見ていこうと思います。

今日のポイント
①日本スポーツの起源は「兵隊養成」
②スポーツの本質は「娯楽」
③現在の日本体育の目標は?

①日本スポーツの起源は「兵隊養成」

体育のイメージは、前回も触れたように、全員がまっすぐ整列して先生の指示に従うのが基本。はみ出したり、ずれたりすることは許されません。集団行動が第一です。
それもそのはず、参考になるのはこちらの記事です。

日本のスポーツの起源は、明治時代の富国強兵時代まで遡ります。

国をあげて国民の身体鍛錬を目指していたんですね。欧米列強と肩を並べるために、「優れた国民を育てるぞ!」「優れた兵士を育てるぞ!」というわけです。指導者の指示通りに動き、戦えないといけないですよね。

この鍛錬の教育は、当時の方が真剣に考え、実現させた仕組みです。当時のやり方についてどう思うかではなく、大事なのは今のスポーツと比べて、これからどう進めるべきかをちゃんと考えていくことだと思います。

では、次に世界のスポーツの起源についてです。


②スポーツの本質は「娯楽」

まずは「スポーツ」の語源から。ラテン語で「deportare(デポルターレ)」は、日常から離れる”という意味があるそうです。つまり、体を動かして、夢中になることで、嫌なことを忘れて、‟今”を楽しむ、ということです。

それこそが、スポーツ本来の価値なんです。

スポーツをする人だって、プレーヤー、つまり遊ぶ人、楽しむ人という意味です。子どもも高齢者も、健常者も障害者も、もっと肘肩張らずにスポーツを楽しめるべきですよね。


③現在の日本体育の目標は?

学校体育も、鍛錬の面だけではなく、生涯楽しめるスポーツとして運動を価値付けています。スポーツをするだけではなくて、「する、見る、支える」という言葉が浸透してきたり、スポーツの技能だけではなく、作戦を立てたり、友達とアドバイスしあうことを大事にしてきています。

https://www.mext.go.jp/sports/content/jsa_kihon02_slide.pdf

あれこれ書いてありますが、なによりも、小学校・中学校での体育では「運動嫌い」を生まないようにしたいですし、「運動楽しい!」と思えた子はその後の人生でもずっと運動に親しむことができると思います。

運動弱者発見装置のなわとび大会と持久走大会は、在り方を考えるべきだし、身体鍛錬代表の部活動も、もっともっと議論されるべきだと考えていますが、今日はこの辺で。

ではまた!

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