価値ある”私”のみがもたらす「安定」
安定した生活を送りたいという人の話を聞いたのと、「安定」が何者なのか考えたくなったのでnote。
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その人は現職を3月末で退職し、4月から公務員になる。1年ほど勉強していたらしく、昨年公務員試験に合格したので退職することにしたそう。
「安定した生活を送りたいから」
理由を聞いた。20代女性。結婚や産前産後の待遇、福利厚生や長く働くことなど考えた結果、公務員が一番となったらしい。
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出産ということがどれだけのことなのか、正直分からない。なんとなく”重い”ことなんだなあと思うけど、当事者としての意識はなかなか湧いてこない(男だからそりゃそうなのだが)。
だからといってその安定を求める姿勢を否定したいわけではなく、そういった考えもあり、それに向かって取捨選択している姿に納得できる。人生における優先度を自分自身で決めることができ、実際に行動に移している。
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別の人で、貯金がないと不安になるという話を聞いた。
現在、1年前と比べて貯金が減ってきているそうで、日々不安らしい。なぜ不安なのかを聞くと「わからない」と言い、ではなぜ貯金をするのかと聞くと「何かあった時のため」だそう。
非常時の防災グッズよろしく、今すぐ必要ではないが、いざという時のためにあると安心する存在なのだと思う。急な病気や失職など、どうせ(もしくはめったに)起こらないと思っていることが、案外すぐ近くで現れたりするのかもしれない。
けど最後に「早く結婚して、若いうちに子育てがしたい」と言っていた。なんだ、大切なもの分かってるじゃん。それが貯金の原動力でもあるなと思った。
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多分、「安定」とは心や気持ちを平穏に保つことなのだと思う。お金にしろモノにしろ思想にしろ、なにか拠り所となるものがあると人は安心できる。それは各々で違うのはもちろん、日々の生活の中でも変わり続けるものだ。今日の優先度1位が、明日も1位になるとは限らない。ましてや年単位で考えると、大切にするものが変わり続けていくとしても不思議ではない。
しかし、それでも変わらないものを1つでも持つことができたら幸せだと思う。変わらぬ信念、信じられる拠り所。自分と表裏一体となるものがあることは、強さの源泉となりそうだ。
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私の「安定」は何かを考えたが、うまく見つからない。同じ仕事を定年まで続けたいと思わないし、貯金をしているわけでもない。もし「不安定」が「怖さ」であるならば、周囲への興味関心がなくなることが怖いと思った。好奇心を頼りにそこから広がる世界の楽しさを知ったし、それが自分を作り上げている要素だと感じている。そういった気持ちが起こらなくなることが怖いと思った。何者へも無関心となった自分を想像すると怖くなった。
では今、興味関心を持った生活ができているとはどういうことなのか。すべてが自分起点なのかと言えばそうではなく、周囲の環境に常に左右されていると思う。好奇心旺盛でいられるその前提には、仕事から得られる継続的な収入やそれによる安心感、基本的な生活を送れていることからの精神的充足などある。そのため、一概に「これは安定の要素で、これはそうでない」と言い切ることができない。
前提として今あるものが無くなったとき、私は周囲への興味を失わずにいられるのだろうか。気持ちに余裕が生まれるのであろうか。そんなことよりも、今日を生きることをまずは考えざるを得ないのであろうか。
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すべてが満たされるなんてことはなく、いつだって飽くことのない状態で生きている。けどそれが、何かを考える動機になったり、行動を起こす原動力になっていたりする。
なんやかんやですべてが「安定」の要素となり、自分自身を作り上げていると思う。どれかにひとつに絞ることなんてできないし、その必要もない。そうだとすると、結局拠り所となるのは「安定」要素から成る自分であり、信じられるものは自分自信なのではという気がしてくる。
自分を信じることが、唯一安定した生活の基盤となる。一見不安定な人生も、私が私を信じている限り、それは必ず安定している。周囲の目を気にする必要なんてない。
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安定の見え方は人によって違うため、理解されることは少ないかもしれない。一所で長く働くこと、まとまった貯金が常にあること。どれも正解で、けど視点が変わるだけでどれも不正解になりうる。
いつも思うことは、正解も不正解も存在する中で、最後は自分で決めた選択だけが正しいということ。信ずるに足るものは、自分自身だけだということ。何かを拠り所にしていたとしても、巡り巡るとそれは私へと帰結する。価値あるのは自分だ。
「安定」への解が得られたような、そうでないような気がしている。けどそれも、今の私の正解なのだと思う。