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誰も知らない取材ノート✦〔序章2〕

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中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。
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見出しだけでは、何の記事だかピンときませんでした。「市船soul」「タイギの曲」「告別式」…。誰かが亡くなった話であることは想像できます。その見出しの下を見ると、映像が貼り付けてあります。「なんの映像だろう」と疑問に思いました。映像のサムネイルは、ホルンを吹いている若い女性の写真です。しかも一人ではなく、背後にも楽器演奏の人々が大勢いるような様子です。すぐにでもその映像を再生してみようと思いましたが、まずは記事を読んでから、と先に記事を読み始めました。記事の本文の最初には、このように書かれていました。
「市立船橋高校(千葉県船橋市)には、受け継がれていくメロディーがある。応援曲「市船soul(いちふなソウル)」。吹奏楽部の躍動感あふれる旋律が、運動部員たちに力を与えてきた」
運動部の応援曲、と聞いてすぐに思い浮かぶのが甲子園です。私は野球に詳しいわけではありませんが、出身が神戸で球場が近くにあったこともあり、甲子園はテレビ中継などでもよく見ていました。中継でも、スタンドからひっきりなしに聞こえてくるブラスバンドの演奏の存在感は強いものです。『市船soul』という曲はきっと、この市立船橋高校のオリジナル曲なのでしょう。察するに、この曲を作った青年が亡くなったのだと思いました。
記事本文に目を通すと、大義くんは壮絶な闘病生活を送ったことが分かりました。何度も手術と入退院を繰り返しています。しかし周囲に弱音を吐くことはなく、死の間際まで、音楽のことを考えていたというのです。彼は交際相手の女性にメッセージを送っていました。
「俺の心は死んでても、俺の音楽は生き続ける」
 凄い言葉だな、と思いました。音楽家らしいなとも思いましたが、じゃっかん二十歳でこの世を去ろうとしている青年が、実際の死を前にしてこんな言葉を遺せるでしょうか。本当は怖くて仕方がないんじゃないのか、もっと生きたいともがくのではないかと思いました。
私はもう一度画面をスクロールして映像部分に戻りました。その『市船soul』が気になったのです。大義くんが母校である市立船橋高校吹奏楽部顧問の高橋健一先生のご指導のもとで作った曲でした。この映像の中に『市船soul』の演奏が収められているかもしれません。どんなメロディか聞けるかもしれない、そう思って映像の再生マークをタップしてみました。映像は全部で一分二十八秒ありました。
最初映ったのは、真っ青な空でした。よく晴れた雲一つない青空。その空をバックに、大きな看板が映りました。「ゆいまき斎苑 古谷式典」と、ブルー地に白字で書かれています。葬儀場の看板なのだろうと思いました。画面の隅には「遺族提供のDVDより」とテロップで書かれてあります。次の画面に映ったのは祭壇です。少し大きめに思えました。青と紫の花で敷き詰められ、白い花で音符の形が象られています。「きれいだな…」と思いました。祭壇に描かれていたのは二種類の八分音符です。踊るように角度をつけて、真っ白な花で、青紫の花々の絨毯の上にくっきりと象られていました。遺影はその音符たちに守られるように、中央に座していました。次の画面で、その遺影のものと思われる若い男性の写真が映されました。紺色のブレザーに白色のパンツ。年は高校生くらいに見えます。まだあどけなさが残るような、へらっとした笑顔で、右手でピースサインを作り、左手には金色に光るトロンボーンを持っています。画面の下に「浅野大義さん」というテロップが出ていました。この「浅野大義」という青年の告別式なのか、と思いました。見出しの「タイギ」とは、この「大義」という青年のことなのだろうと合点しました。続けて映像を見つめました。それまで流れていたしっとりとしたBGMが消えて、実際の音が入ってきました。画面にはいくつもの譜面立てと、何人ものクラリネットを持った人が写っています。画面に映り切らないほどたくさんの人で溢れています。式場内は人で埋め尽くされ、そのほとんどが楽器を持っているようでした。奥側にはサックスを持った男女も見えます。皆、喪服を着ています。そこら中からすすり泣く声が聞こえてきます。人々の中央に立っている男性が、大きな声で指示を出しました。
「それでは元気に、大義を送りたいと思います。いくよー。打楽器お願い」
 ハリのある太くて大きな声です。その男性の指示で、そこにいた人々が一斉に楽器を構えたのが感じられました。記事によると、この人が高橋健一先生のようです。恰幅が良く、眼鏡をかけています。声と言葉の印象から、頼りがいのある先生という印象を受けました。
「大義が作った曲だ。いくぞ…!」
 一瞬、高橋先生の声が震えました。泣いているのだと分かりました。

(続く)


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中井由梨子(作家・脚本家・演出家・女優)

代表作『20歳のソウル』(小学館/幻冬舎文庫)
映画化決定!2022年全国公開☆出演:神尾楓樹/佐藤浩市


取材を初めて4年。
大義くんが愛した「市船吹奏楽部」はコロナの感染拡大で、苦難の時に立たされています。今年3月に行われた映画のロケでは、部員の皆さん総出で出演・協力してくださいました。

顧問の高橋健一先生の熱い想いとともに、部員の皆さんのひたむきさ、音楽を愛する心、市船を愛する心がひしひしと伝わってくる撮影でした。

皆さんに恩返しするためにも、そして皆さんに出会わせてくれた大義くんに喜んでもらうためにも、来年の映画公開に向け、少しでも多くの皆さまに、「市船吹奏楽部」を知ってほしい。

私が『20歳のソウル』の前に書いていた取材ノートを公開します。
これは、ごく一部の出版関係者の方にしかお見せしていませんでしたが、取材当時の様子が鮮明に描かれた記録です。私自身のことも多く書いてあり、少し恥ずかしいところもありますが、私と大義くんとの出会いを追体験していただけたら幸いです。

皆さまのお心に「市船soul」が鳴り響きますように。

大義くんからの「生ききれ!」というメッセージが届きますように。










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