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「朝陽が昇るまで待って」Vol.1【無料】

私ね、あなたに言っていないことがあった。
ずっと昔、あなたのものを一つ、盗んだことがある。
今、はじめて告白するね。

あの時、私はあなたの姿をカメラの後ろで見ていたの。
「なんて不器用な人なんだろう」
それが第一印象。髪型も服装も野暮ったいし、目はいつも周りをきょろきょろ見て落ち着きがなくて、体は大きいくせに気は小さそうだし、慣れない現場であっちこっちに身体ぶつけて、謝り倒していたわね。チーフの高見ちゃんにイラつかれて、怒鳴られて、ますます挙動不審になってた。まったく、こっちはあなたのことが気になって、仕事に集中できないったら。あげく、私の目の前でケータリングスペースにぶつかってコーヒーをテーブルにぶちまけたのよ。

「あああ、すみません!」
「あんた、ちゃんと前、見えてる?」
「見えてます、見えてます、すみません、急げって言われたから慌てちゃって…」
「ちょっと落ち着いて。高見ちゃんからはなんて言われたの?」
「はい?」
「今、何か指示をもらったから、楽屋に戻ろうとしたんでしょ、なんて言われたの?」
「あ、あ、あの、エクステ取ってこいって」
「カラー番号は」
「5番と8番と、えーっと11番」
「深呼吸」
「え、はい。(深呼吸する)」
「現場って慣れないと慌てるけどね、時間に追われる場所じゃないの。まだ見ぬ作品を作る場所なのよ。
ファストフードのようにオーダーして1分で出せっていう世界じゃないの。みんな、限られた時間の中
で完璧を追求するから、時間が惜しいだけなのよ」
「はい…」
「急げって言われて急ぐだけなら誰でもできるわ。あなたは違うんでしょう、一流のヘアメイクアップアーティストになりたいんでしょう?」
「なりたいです」
「じゃ、今度から、急げ!って言われたらこう言われてると思いなさい。ベストを尽くせ!って」
「急げ、はベストを尽くせ!ですか」
「そう」
「分かりました」

「セントぉ、急げ!」
「…ベストを尽くします!」

あの時のあなたの笑顔、忘れない。
何年たっても、何十年たっても、私にとってあなたは、あの時のまま。


自分の髪型のセンスはまるでないのにこの先大丈夫なのかしら、って思っていたら、まるで白鳥の雛の羽が生え代わるようにあなたは磨かれていった。再会したのはあれから1年もたたないうちだったのに、一瞬、誰だか分からなかった。久しぶりに会ったあなたは、とっても堂々としていた。

「俺、テルミンさんにもう一回お会い出来たら、絶対伝えようって思ってたんです。あの時、ありがとうございましたって」
「どの時?」
「急げって言われたら、ベストを尽くせって思えって」
「そんなこと言ったかしら」
「覚えてないんですか」
「覚えてないわ」
「俺、ずっとそう思って現場やってきたんです。去年、高見さんのとこやめて独立したんですけど、おかげ様でしっかり一本立ちできてます。あの時の、テルミンさんのアドバイスのおかげです」
「それは良かったわね、おめでとう」
「はい。またご一緒できるの楽しみにしています」

スタジオの廊下を走り去っていく姿を思わず見送ってしまった。嬉しいような寂しいような、甘いような、苦いような、不思議な気持ちだったわ。それが恋だって気付いたのは、ずっと後のことね。

                                               


ずっと昔、俺はあんたのものを盗んだ。
ずっと言えなかったけど、今なら言えるかもしれない。

付き合うとか付き合わないとかで、俺たちは約1年半揉めていた。俺的にはだな、ひと月の半分以上はどっちかの家に泊ってて、お互いの仕事のことも家族のことも体のことも全部知ってれば、それは付き合ってるってことになると思うんだけど、あんたは全然認めなかったんだよね。

「あのね、千ちゃん。私はね、人生に余計なお荷物は抱えたくないの」
「お荷物って何よ」
「ダンナはいらない」
「だからダンナにはならねえよ、彼氏でいいじゃん」
「彼氏もお荷物よ」
「なんで」
「別れなきゃいけないでしょ?付き合うのは簡単よ、でも別れるのはほんっとに疲れるから」
「なんで別れる前提なの?」
「続くわけないでしょ、恋愛なんてお互いの旨味をしゃぶり尽くしたらそれで終わり、ゴミ箱にポイよ」
「今までどんな恋愛してきたの」
「それ話すと蕁麻疹出る」
「トラウマありすぎでしょ」
「もういいじゃない。ほら、仕事の時間」
「誤魔化さないで。俺は真剣だから」
「…そういう顔されると、弱い」
「でしょ」
「でも肩書はいらないわ。私は私、あなたはあなた。関係なんて、どうだっていいのよ」
「俺は違う」
「…」
「テルミン。俺と付き合って」
「…」
「…」
「無理!」
「なんで!」
「蕁麻疹出る!」
「なんでだよ!」
「仕事行くから、後はやっといて!」
「何を?」
「いってきます」
「ちょっと!」

この繰り返しを1年半で5回ほどやった。
我ながら根気が良いと思うが、テルミンも相当頑固だ。
俺が思うに、テルミンは何かを怖がっている。過去のトラウマなのかは知らないが、別れるのが怖いのか、それとも深い仲になるのが怖いのか、深い仲になりすぎて別れるのが怖いのか…よく分かんないけど、とにかくなんか怖がっている。その怖がってる何か、ていうのを知りたかった。

                                                 

あの時、私ね。
あなたから盗んだものがある。誰にもバレないように、そっと盗んでおいたの。

「高見ちゃん、あの子、明日から外して」
「千人?」
「あの不器用さ見てるだけでイラつくから」
「も~テルミン厳しいよ。今、うちも全然手が足りてなくて、代わりのアシスタントいないのよ。あの子、あれでけっこう使えるんだから」
「でも私好みじゃない」
「勘弁してって」
「代わりのアシスタントは私が手配するから。その代わり、あの子には私が外したって伝えてね」
「え、テルミンに嫌われたから外されたよって?」
「そう」
「そんなに嫌いだった?いい子なんだけどな」

そう、とても、いい子だった。
だから、私の目の前から消えて欲しいの。

「ちゃんと、そう伝えて。私が嫌いだから、現場から外れてって」
「分かった、伝える。ほんとに好き嫌い激しいんだから…」

そう、好き嫌い激しいの。
特に好きな子には、激しく拒絶反応が出ちゃうの、女のあなたには、分からないわね。

                                               

出会ったその日に、高見さんから現場を外れるように言われた。

「千人、テルミンに嫌われちゃったみたい。好き嫌い激しい人だから、機嫌損ねたくないのよ、ごめんね」

高見ちゃんは心底悪そうに手を合わせて言ってくれた。
けど、俺は直感で分かった。
ああ、違う。逆だ。きっと、逆だ。
あの時、なんであんなふうに確信したのか、分からない。でも、あの日からあんたのことを忘れた日は一日もない。本当に、一日もなかった。もう一度会いたい。今度は一人前になって、向こうから呼ばれるようになってやる。
ある意味、あの日からあんたに持っていかれたのかもしれないな、心の一部をさ。

だから、再会してしばらくたって、俺はあんたから大事なものを盗んだ。

「ダブルブッキングって何、なめてんの」

テルミン、電話口ですげえ怒鳴ってたな。
そりゃそうだ、河上譚はテルミンが育てたような俳優だから。彼がたとえ手違いでもあんたのとこに来ないことは、あんたにとっては裏切りに値する。
あの頃、あんたは譚の主演舞台をいくつも手掛けてた。その日は譚の誕生日パーティーを企画していた。関係者や取材も入れて、次の作品の宣伝に使おうと思っていたんだな。
その準備の真っ最中、30分、あんたは譚と電話して、そして憔悴して俺たちのところへ帰ってきた。

「みんな、ほんとにごめん。譚が来れないことになったから、バラして。パーティは中止」

俺はずっとヘアメイク担当で現場に入ってた。実は前の日、俺は譚と飲んでたんだ。奴はあんたと距離置きたいって言ってたんだよ。これまでは良かった、けどこれからは、あんたの敷いたレールを走るわけにはいかないってさ。確かに、気に入ってるとはいえ、あんたのあいつへの肩入れはちょっとやり過ぎだったよ。譚が拒否しなければ、あんたの暴走は誰も止められなかった。けどあいつは律儀な男だし、それがなかなかできなかったんだよな。

「とりあえず一回、ぶっちぎれば?」

俺のアドバイス。というかあんたへの仕返し。こんなことをそそのかす俺、今考えたらとんでもないことだけど、本当にやるあいつもあいつだよ。

パーティドタキャン事件があってから、テルミンと譚の関係は確実に変わった。
テルミンの中で、奴への何かが断ち切られたんだよな、いい意味で。いい意味で?本当に良かったのか?
トラウマを一つ増やしただけかもしれないなあ。

でもま、少なくとも、あんたがやっとこさ、俺のほうを向いてくれたんだ。

前置きが長くなった。
テルミンはそう、超マイナス思考だ。
そのせいで、俺たちは延々と同じ話をかれこれ1年半続けている。

「出会いと別れは表裏一体でしょ。私の場合、出会った瞬間に別れに向かっていってるって考えちゃうのよ。生まれた瞬間から死に向かってるって考えちゃうのと同じ」
「絶望的に生きてるじゃん、それ」
「人生は苦だと、お釈迦様も仰ってるわ。だからね、別れを回避するために出会わない。始めないってこと。始めなければ終わりもない。ね?理屈、通ってるでしょ?」
「全然通ってないでしょ、始めないとか言って俺たちもうやることやってるから」
「やってても初めてなければ大丈夫なの」
「全然分かんない」
「とにかく、あなたと私は始まってない。これからも始めない!」

一体どうすりゃいいんだろう。
俺はどっちかというと関係性にこだわるほうだ。というか、テルミンは浮気性だから、繋ぎとめておかないとすぐに新しい奴みつけてどっかに行っちまう。たぶん。いや、絶対。
幸せにしたいのに。

                                                

千人は、まさか本当に、私を幸せにしたいなんて考えてるのかしら。
考えてるのよね、あの子の性格上。
そんなの、無理よ。

「餅、焼けたよ」
「あんたさ、正月だからって毎食餅焼くことなくない?」
「餅、旨いんだよ」
「うん、でも毎食はありえない、もう3日目だから」
「今日はずんだ餡ね」
「ずんだは好きだけど餅はやだ」
「はい、どうぞ」
「いらないって、今ダイエット中なの」
「そのままでいいよ、テルミンは」
「ダメよ、年末から1キロ太ったもの。戻さなきゃ」
「いただきます」
「聞いてる?」
「テルミンは綺麗だよ」
「…(溜息)」

これまで、本当にたくさんの人と恋愛してきたと思う。
だけどね、本物なんてどこにもなかった。ダイヤのイミテーションが、踏んづけたら簡単に壊れるのと同じ。見た目は愛でも、結局、簡単に壊れてしまう。
壊してきたのは、自分自身かもしれないけど。

「何考えてんだよ」
「別に。餅以外のランチが食べたいな、と」
「分かった、夜はカレー作る」
「夜は食べないから、明日お願い」
「ダイエットはもういいでしょうが、倒れちゃうよ」
「誰に向かって言ってんの、不死身のテルミンよ」
「仕事用トークはいいって、本音だけ喋って、俺には」
「…」
「でしょ?」

千人は不思議な男だ。
ずっと覆い隠してきた仮面をいとも簡単にはがされる。こんなに遠慮なく私の内面をえぐってくるのは彼だけだ。

「千人」
「なに?」
「会って欲しい人がいる」
「御両親?ご挨拶?結納?」
「やっぱりいい」
「何、何、真面目に聞くから!」
「元彼」
「…。…えええ」
「嫌?」
「いいよ。でも、なんで」
「取り返してきて欲しいの、大事な物」
「なんか取られたの?」
「うん、盗まれて、そのまま」
「何。喧嘩になるやつ?俺、顔腫れるやつ?顔腫れてもいいけど指折られたら仕事になんないっつうか
死ぬほど困るけど、まあ、いいよ」
「金目のものじゃないの、会えば分かるわ」
「うん。…え、俺一人で?」
「うん」
「俺一人で会いに行くの?」
「うん」
「ハードル高くない?」
「うん、やめる?」
「やるよ」
「ありがと。じゃあ、彼に連絡しとく」
「元彼ね」
「元彼」

ねえ、千人。
私はね、運命の人を待っているのよ。正解を探したいの。人生の正解。
ああ、この人だ!って思いたいの。
これが私の本当の人生だって、思いたいの。
もう、間違えたくないのよ。

                                              

なんか企んでる。
テルミンは、絶対なんか企んでる。
俺の予想では、元彼ってのはハッタリ。たぶん、テルミンの親友かなんかで、会ったらなんか説教してくると思う。それ以上立ち入るのはやめとけ、とか。なんならそろそろ別れろよ、とか。
テルミンは、そうやって自分から自分のものを壊したがるところがある。
自虐、とも少し違うような。
壊して、また新しく買って、また壊して、また買って…っていう、買い物中毒みたいな?
うまく言えねえんだけど、そういう感じあるんだよな。
それが、一番つらいとこ。
もうやめて欲しいんだ、そういうことは。

ねえ、テルミン。
恋ってさ、恋愛ってさ、洋服とか宝石とかとは違うんだ。
高い金出せば理想のものが買える世界じゃないと思うんだ。そもそも、出来合いの恋愛なんてないわけだろ。
作り出すしかないんだよ。
育てるしかないんだよ。
たぶん、あんたと俺にしかわからない関係性の中で、いわゆる恋とか愛とかじゃない、何か特別なものにしていけばいいんだと思うんだ。俺は、ずっとそう思ってるんだ。

分かってくんねえかなあ…。


なんて、考えているうちにテルミンは本当にその元彼と俺を引き合わせる段取りをつけてきた。
そうして俺は会うことになったのだ。森ノ宮咲多郎という男に。


                                          つづく

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