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もうひとつの「20歳のソウル」~斗真の物語~⑥

コン、コン。
変な音が、夢の中から聞こえてきた。
コン、コココン、コンコッコ。
リズムが変だ。夢の中だというのに、僕はイラっとした。眉をしかめて音に耳を澄ます。しかし音はそれっきりしなくなった。一体なんだったんだろ。

 目を開けた。

 ああ、やっぱり夢か。時計を見る。午後8時33分。また寝てしまったのか。ベッドの上で天井を眺めながら意識を少しずつはっきりさせていく。えーっと…、今日は何曜日だ?木曜日?学校に行かなくなって、4日ってことか?4日も無断欠席をしてしまった。そんなことは、これまでに一度もなかった。両親は週明けまで二人とも帰ってこない。にしても、学校からもなんの連絡もない。なんだか拍子抜けする。このまま高校生活フェードアウトしても、誰にもバレないんじゃないかな。
コンコン!
ふいに窓際であの音がしてビクっとした。
夢じゃなかったのか?
起き上がり、おそるおそる窓に近づいた。真っ暗な空。街灯が白々とコンクリートの道を照らしている。
「……あ」
 僕の部屋の窓からはちょうど玄関が見下ろせる。門の前に、白い光に照らされて人影が突っ立っていた。こちらを見ている。
「あ!佐伯…!」
そいつが笑って口を開いた。
「佐伯くん!」
ありえない。窓を閉めていても聞こえるほどのでかい声で、浅野は僕を呼んだ。
「え」
「佐伯くん!」
慌てて窓を開けた。浅野は僕が見えると大きく手を振って笑った。
「いるじゃん、やっぱり」
「何」
「インターホン鳴らしても出ないから、でも明かりついてるからさ」
「鳴らした?」
「うん、昨日も、おとといも」
 昨日も、おとといも?
「来てたのか?」
「うん、でも出ないから。居留守使ってんだろうなあと思って」
「あのさ、とりあえず」
 僕は窓から頭を引っ込めて部屋を出た。玄関へ駆け降りる。扉を開けると浅野が「よう」と片手を挙げた。浅野の手には小石がいくつか握られていた。さっきのコンコンってやつは、これか。人ん家の窓ガラス割る気か?

「中、入れよ」
「いいの?」
 浅野は一瞬、驚いたような顔をした。
「いや。お前、声でかいから」
 実際、浅野は声がでかかった。あの調子で喋り続けたら絶対に近所から苦情がくるし、何より、恥ずかしい。だが、なぜ自分が彼を家に入れようと思ったのか、本当の理由は自分でも分からない。本来なら絶対にしない行為を自分がしてしまったことに僕が一番驚いていた。

 浅野はお邪魔します!と勢いよく近づいてきた。他人の家に上がることに対して躊躇しない様子から、彼の友達付き合いの良さを感じた。真っ暗な玄関で靴を脱ぎながら、
「親は?」と短く聞く。
「いない」僕も短く答えた。
「仕事?」
「うん」
 それ以上説明の必要はないだろうと思ったし、浅野も聞かなかった。部屋の戸を開けた瞬間、浅野は「うひゃあああ」と変な声を出した。
「何?」
「すげえ」
「何が」
「やばい」
「だから、何が」
「部屋が!」
 浅野は目を丸くして一歩一歩、踏みしめるように部屋に入ってきた。せわしなく視線を動かしながら、僕の部屋を眺めた。壁際のキーボード、ベッドサイドの机、壁に沿って並べられた楽器のケース、中央のサイレントドラム…。浅野はそれら一つ一つをゆっくりと眺めながら、本棚の前でまた「ひゃああ」と声を漏らした。
「スコア、すげえ!」
 僕の本棚はほとんどが楽譜で埋め尽くされていた。交響曲から映画音楽やポップスまで幅広く揃えてあった。まだ全部は読めていないが、作曲論や楽典なども置いていた。浅野は一つ一つを指でなぞりながらため息をついた。その様子はまるで新しいおもちゃを目にした時の幼児のようで、少し笑えた。

「プロの部屋じゃん」
 なんのプロだよ。
「吹奏楽はないの?」
「ないよ。あんまり興味ないから」
「でも佐伯くん、吹部だよね」
「え」
 驚いた。確かに僕は吹部に入部した。が、一日も部活には行っていない。まさか浅野がそれを知っているとは思っていなかった。
「知ってるんだ」
「高橋先生がね」
 そう言ってベッドの端に腰掛けると、浅野は鞄からプリントされたスコアを引っ張り出した。
「これを、佐伯くんに届けて欲しいって。こないだ、頼まれてさ」
 どういうことだろう。
 高橋先生。あの日、音楽室で話してから、一度も話していない。三年生の担任をしている高橋先生とは、校内でもほとんど顔を合わせないのだ。もちろん、入部届を出したことは知っているだろうが、100人以上いる吹部の生徒たちの中で僕を認識しているとは思えなかった。
「俺、知らなかったよ、佐伯くんが吹部入ってたの。なんで言ってくれなかったんだよ」
「いや、お前のこと、よく知らないし…」
「でも同じクラスだろ」
「だからって…」
「友達じゃん」

 え?

 浅野の言葉に、心が一瞬フリーズした。友達って、言ったか?

「これ。去年の定期演奏会でやった吹劇の楽譜だって。先生、佐伯くんが入部したら渡そうと思ってたらしいんだけど、一回も来ないから。同じクラスだろ、って言われて」
 浅野が差し出した楽譜はコピーだったがずっしりと重かった。あの曲だ。僕がうろ覚えのメロディをピアノで弾いたのを聴いて、先生は「やるなあ」と言った。もしかしたら、僕が入部したいと思ったのは先生のあの一言だったのかもしれない。今、思えば。あの、「やるなあ」がもう一度聞きたくて。
 浅野はぼんやりと楽譜を眺める僕を見つめ、僕が顔を上げるとフフっと笑った。
よく笑う奴だな。
 僕は、あまり笑ったことがないと自分でも思う。家でも、学校でも、なんだかいつも顔がこわばってしまう。浅野は笑うと目が細くなってかなり愛嬌が増す。
「渡そうと思ってたのに、学校にすら来なくなっちゃうから」
 浅野は笑顔のままで言った。
「風邪でもひいたのかなって思ってたんだけど、そうじゃないんだ?」
「ああ…」
 学校に行かなかった理由を他人に説明することはできないと思った。東船橋の駅でくるりと踵を返した時のあのなんとも言えない気持ち。音楽を作りたいと奥底から湧き上がるような衝動を、浅野に説明したって理解しえないだろう。
「学校、行くのが面倒で」
 僕は呟くように答えた。我ながら適当すぎる答えだ。こんな答えじゃ、こいつはきっと納得できずにいろいろと質問してくるだろうと身構えた。だが、
「ふうん」
 浅野はただ、そう言って目線をキーボードへ向けた。僕はちょっと手持無沙汰のようになって彼の横顔を見つめた。
「あ」
 その横顔が、再び輝いた。
「これ、なに?」
 浅野は立ち上がるとキーボードの譜面台に立てかけられた、手書きの譜面を取り上げた。今朝、書き上げたばかりの、僕の曲。
「それは、ちょっと」
 思わず楽譜を奪い取ると、抱え込むように机の引き出しに入れた。
「え?」
 浅野は面食らって僕を見つめた。
「いや、今のはちょっと」
「何?」
「見ないで欲しいっていうか」
「ごめん。もしかして、曲?」
「…うん」
「曲、作ってるの?」
「……うん」
「マジで?」
「うん」
「すっげえ!」
 浅野がまた目を細くして笑った。


(つづく)


※現在公開中の映画『20歳のソウル』第一稿をもとにした佐伯斗真のスピンオフ。映画用に作った斗真の裏設定を元に描いたストーリーですので、こちらの小説に登場する人物・エピソードは、中井由梨子が創作した架空の人物・物語であり、実在の人物、市船とは全く関係のないフィクションです。
 

 


 

 

 


 

 

 

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