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「誰も知らない取材ノート」〔序章6〕

中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

「やってみます」と言ったものの、帰途の車中で私はボーっと車窓から見える夜景を見つめながら「どうしたものか」と考えていました。どのように高橋先生にコンタクトを取ればよいか、一番良い方法が思いつかなかったのです。一番早くて一般的な方法は、学校に電話することです。市立船橋高校に電話し、高橋先生に繋いでもらって事情をご説明し、ご理解いただけたら訪問のアポイントメントを取れば良いのです。しかし私は電話することを躊躇いました。今の自分の状況や心境を、電話でちゃんと説明できるとは思えませんでした。目的があまりに曖昧だったのです。私の動機は「大義くんの人生にとても興味を持ちました、本に書きたいです」ということ以外何もありませんでした。どこに出す本なのか、脚本なのか小説なのかノンフィクションなのか、それすら決まっていなかったのです。これでは理解していただけるとは思えませんでした。逆に良い印象を持たれない気がしました。もう一つ気になったのは、学校の先生の忙しさです。私は大学時代に教員免許を取るために、高校へ一週間ほど教育実習へ行ったことがあります。その時に垣間見た先生たちのスケジュールの多さは、今でもよく覚えています。授業がない時間帯でも、資料を作ったりプリントを作ったり。テストの時期は倍以上の準備がいるのでもっと大変です。さらにクラス担任になったり、部活動の顧問をやったりとなるとまったく休む暇なし、という印象でした。そんな忙しい先生をつかまえて長電話するのは、先方にとってはきっと迷惑な話でしょう。かといってアポイントメントも取らず突然押し掛けるのは非常識です。「どうしよう」と思ったまま答えが出ませんでした。
 私はもともとアクティブな方ではないと自分では思っています。どちらかというと受動的で少し内向的な性格だと思っています。お仕事も、自分で果敢に営業していただいてくるというより、知り合いからの紹介や、偶然の出会いなどのご縁で色々とさせていただきながらなんとか細々とやっていました。普段の活動の仕方も積極性に欠けるところがあったのです。ましてや今回の「取材」のようにやったことがない分野は、その性格が災いして、なかなか踏み出すことができずにいました。未知の分野だからこそ、自分の中のイメージをしっかりと持って、高橋先生にもお会いしなければと思っていました。大義くんのことをどういった形式で書きたいのか、彼の何を書きたいのか、どうやって世に出すのか、きちんと整理してからご連絡しよう、と思いました。
 そうやって、ぐずぐずしたままさらに日が過ぎました。「きちんと整理」はまったくできないままでした。忙しくて時間がなかった、というわけではありません。自分でも情けないとは思いますが、結局何も考えられなかったのです。
 四月二十六日の夜(記事を読んでから二週間も経っていました)、ある会食の場でご一緒したA氏から、高橋先生に連絡はとったかと聞かれました。私は小さく「まだです…」と答えました。まだ連絡できずにいた理由をモソモソと述べた私に、A氏は仰いました。
「怖いかもしれないけどやってみなさい、書きたいと思うなら」
 怖いかもしれないけど、と言われて私はハッとしました。怖いという単語が胸に刺さりました。私は、自分の考えや方向性を整理できなかったのではなく、ただ恐れていただけなのか、と気づきました。門前払いをくらうかもしれないとか、うまくインタビューできないかもしれないとか、様々な不安で取材に踏み込む勇気がなかっただけなのです。考えてみれば、大義くんのことをどう表現するかなど、今決められるはずはないのです。私はまだ、大義くんのことを新聞の記事で読んだだけなのです。それは彼の一端にすぎません。ちゃんと自分で取材して、もっと大義くんのことを知ってからでないと「どう表現するか」など決められるはずはないのです。そんな当たり前のことに気づかされ、私はやっと動き始めました。

(続く)


中井由梨子(作家・脚本家・演出家・女優)

代表作『20歳のソウル』(小学館/幻冬舎文庫)
映画化決定!2022年全国公開
出演:神尾楓樹/佐藤浩市


取材を初めて4年。
大義くんが愛した「市船吹奏楽部」はコロナの感染拡大で、苦難の時に立たされています。今年3月に行われた映画のロケでは、部員の皆さん総出で出演・協力してくださいました。顧問の高橋健一先生の熱い想いとともに、部員の皆さんのひたむきさ、音楽を愛する心、市船を愛する心がひしひしと伝わってくる撮影でした。皆さんに恩返しするためにもそして皆さんに出会わせてくれた大義くんに喜んでもらうためにも来年の映画公開に向け、少しでも多くの皆さまに、「市船吹奏楽部」を知ってほしい。私が『20歳のソウル』の前に書いていた取材ノートを公開します。これは、ごく一部の出版関係者の方にしかお見せしていませんでしたが、取材当時の様子が鮮明に描かれた記録です。私自身のことも多く書いてあり、少し恥ずかしいところもありますが、私と大義くんとの出会いを追体験していただけたら幸いです。

皆さまのお心に「市船soul」が鳴り響きますように。

大義くんからの「生ききれ!」というメッセージが届きますように。









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