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【歴史コラム⑫】戦国大名の寿命

現在日本人の平均寿命は80歳くらい。100年時代と言われている。私の祖母も96歳まで生きていた。縄文時代の平均寿命は20歳前後と言われているので、医療の発達と共に寿命が大幅に伸びた。医療費にかかる費用が掛かりすぎて国家予算圧迫している。私は別に長生きしたいとは思っていない。たとえ今死んでも十分満足いく人生だと思っている。けどおそらく私の家系は長生きだろう。3のつく年に何かが起きているので3が付く年に死ぬんじゃないかと思っている。

戦国時代の平均寿命は50歳くらい。織田信長公も上杉謙信公も49歳で亡くなっていて甲斐の虎武田信玄公も53歳で亡くなっている。有名大名はおよそ50歳くらいで亡くなっている。当然それより以前に亡くなっている大名も多い。その中で突出しているのが徳川家康。なんと73歳。これは徳川幕府15代将軍でも2番目の長寿。では1番は誰かというと徳川慶喜の76歳。大政奉還の後謹慎し、明治の世になってから趣味に生きた最後の将軍が一番長生きだった。最年少は7代将軍家継の8歳。8歳で亡くなったため世継ぎもおらず、跡目がもめた。が8代将軍は名将軍。吉宗。幕府の再建に尽力し、莫大な借金も返済。見事立て直した将軍。怪我の功名だよね。7代将軍が早くに亡くなったから8代将軍が生まれた。吉宗も和歌山の徳川家で4男。他家を継いで、兄が相次いで亡くなったことから紀州徳川家を継いでいたが、将軍の後継を任された人。一度大名nなっていたからこそ運営ができた将軍だよね。

さて私が注目する大名は徳川家ではなく、なんと90歳を超えてから大名になった人。それが九州の大名龍造寺。この龍造寺を再興したのが家兼。主家に一度潰され、主家の家臣に自分の子供・孫4人を殺され、それでも諦めず、一度逃げて生き延びで、力を貯め込み僧侶になって生きていた孫を担ぎあげ、主家を妥当。龍造寺家を再興させたスーパーおじいちゃん。再考時はなんと92歳。で孫を隆信と名乗らせて家督継がせた後すぐ亡くなった。

龍造寺隆信は肥後の熊と呼ばれる大名で龍造寺家最大版図を誇り、九州三国志と呼ばれる大友家、島津家と並ぶ大名になった人物。平均寿命50歳の中で身内殺され、裏切り者として追放され90歳になった時に再興させる気力はどこから湧いてくるのか。もう凄いの一言。こんな大名っているんだよね。マイナーだけどさ。調べていくと本当に面白い。歴史の不思議。マイナーだからこそ捏造はないだろうし。真実だろうね

歴史は知れば知るほど面白い。真実に基づかないものもあるけど、真実を追っていくのも面白い。歴史をもっと勉強しよう

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