見出し画像

家庭内の「なぜ?」を問いにする事で家庭内のコストを下げれたかも。プロ奢サロンを1ヶ月続けてみた。

人に伝えるというのは道案内に似ている。
どの道標を頼りにルートを進み目的地に到着するかを相手に伝える。
一度しか通ったことのない道を久しぶりに誰かに伝えようとすると、自分でも道が曖昧で相手には伝えられない。
一度辿り着けたからといって、もしかしたら次は自分も道を間違ってしまい目的地にたどり着けないかも?

だから今日は運良く良いルートを通れた自分をここに書くことで、将来の自分が迷わないように通った道標とルートを記録してみる。誰かの道案内にもなれば良いな〜。

はじめに

僕は結婚5年目の31歳男性。
もうすぐ4歳になる息子と2歳になったばかりの娘がいる。
奥さんはとても優しい人で、僕のことも、子供たちのこともいつも沢山気に掛けてくれていて彼女の存在はとても頼りになる。
自他共に認める円満な家庭だと思う。

僕は今年に入ってからコロナ禍で生死について考える中で今までの自分に疑問を感じて、これからはもっと自分に正直に生きようと思うようになった。その結果、俗に言う世間というものに疑問を感じて度々奥さんと意見がぶつかるようになった。例えば葬式や結婚式は不要だとか、コロナのせいで他人の目が気になって今まで通りのことが出来ないのはバカだとか…。
しかしお互いを認めていないという話ではないので、それで夫婦が不仲になったりはしなかった。

奥さんへの「何故?」を問いに

奥さんと結婚して一緒に生活するようになってから気付くようになったことがある。

奥さんはあまり他人のことを見ていない。


ショッピングモールを歩いて、僕が「今の人オシャレだったね?」や「美味しそうなの物持ってる人居た!」等話しても通じない。
どうやら他人のことを見ていないようだ。
いったい普段何を見てるんだ?何故見ていないんだ?
これまでわりと何度も奥さんに聞いてきた気がする笑

ところで今月からプロ奢のnoteのマガジンの購読者限定で入れるslack内のオンラインサロンを覗くようになった。そのサロン内のコンテンツの一つに「問いを立てる部屋」と言うのがある。
その部屋は質問形式の投稿しか出来ない特殊なルールの部屋で、
そして「なぜ?」の質問は禁止されている
どうやら考えるとは問いを作ることらしく、
「なぜ?」は「なぜ?」しか生まず、考えることにはならならないようだ。

結婚して5年のあいだ僕は奥さんが「何故他人を何故見ていないのか?」と「なぜ?」のまま放置していた。答えが知りたいと思いながらも考えていなかったのだ。

ふたつのきっかけ

しかし、なんと今日その奥さんに対する「なぜ?」をきちんと問いにしてお互いで話し合い、言語化することでお互いの違いを知ることになった。

考えるに至ったきっかけのひとつ。まず今日は友人たちとデイキャンプの予定があった。前日から準備をせずに、朝起きてから準備をすることに決めていた。
結果的にせかせかと準備をして少し目標よりも遅れて出発するとこになり、焦る両親と急かされる子供たちは空気が悪かった笑

家を出発した後に奥さんから「私は皆んなと一緒に起きて準備をしたらダメだ。自分の準備が出来ない」と反省?を伝えてきた。

僕は「まずは自分の準備をしてから、子供たちの準備をして、間に合わないところは僕に指示してみたら?自分だけ早く起きなくても良いよ」と伝えた。

前日の夜に奥さんが子供の準備で、僕がキャンプの準備をすると役割分担をしていたけれど、分担した役割しかお互いにやらないという話ではないと僕は思った。
そして僕たちは早起きが苦手だけど、苦手を克服するのは僕は必要ないと考えているからだった。

ふたつ目のきっかけは、
デイキャンプの帰り道にD.A.Dと書かれた車屋さんを見た僕が奥さんに「よく車にステッカーで貼られてるロゴがあったよ!」と話したところ、そんなのは見たことがないと言われたことだった。

僕は今まで何度もそのロゴを見ていて、なんとなく車屋さんのロゴなのかなー?くらいの認識だったけど、まさか奥さんが見たことすらないと言ったことにびっくりした。

そこでまた僕は奥さんに「なぜ?」と思った。
今までならそこで終わっていたが、
今回はそこから問いに繋げることになった。
なんで見たことないの?何なら見てるの?
僕の見てないものを見てるの?
僕が無意識に見ている物を奥さんは無意識に見ていないのか?
意識的には何を見ているのか?

奥さんの無意識と僕の意識

僕は奥さんに質問をしてみた。
「全員マスクをしている電車の中で、自分だけマスクをせずに乗ることは出来るか?」
奥さんは「私はマスクをする」と答えた。

僕は最近まで通勤電車でマスクをしていなかった。誰も話していない電車の中で、僕も話さないのにマスクをする必要はない。マスクをするのは手段であり目的ではないからと考えていたから。

「周りの目は気にならないのか?」と聞かれたことがあった。僕はわざわざ周りの目を見ていないので、周りの目を知らなかった。周りの目を予想は出来るけど。興味がなかった。だから見ない。 

ここで新たな発見が生まれた。
奥さんは自分の為に無意識に他人を見ていないが、他人の為には無意識的に他人を見ることが出来る。僕は無意識に他人を見ることが出来て、意識的に興味がない人たちを見ないことが出来るのだ。

僕のゼロコスト

僕は普段、無意識に自分の面白いものがないかな〜と他人を見ていたのだ。

例えば見たことのないスニーカーや、食べたことのない美味しそうなのモノ、そして自分の奥さん。それは自分の知らないモノたち。知らないモノを知るのは面白い。

その面白いものが自分を面白くすると思うから。
つまり僕は自分の為なら無意識に他人を見れる。

ついつい無意識にやってしまうことというのはコストが掛からないこと。コストが無料、ゼロコスト。僕の為に無意識に他人を見ることが僕のゼロコスト。

奥さんのゼロコスト

そして奥さんは自分のためには他人を見ることはしないけど、他人の為には無意識に他人を見れる。それが奥さんのゼロコスト。

例えば奥さんは電車の中でマスクをしないことで、誰かが不快に思うかもと思いマスクをする。他人の為に無意識に他人を見ている。

奥さんは昔の職場で、カバンを使わずに紙袋を毎日使っていたそうだ。紙袋は色んなサイズのモノがあるので、その日の必要なサイズを選んで使えて便利だと言っていた。
人によってはみすぼらしいと感じるであろうその行為は、自分の為には他人を無意識に見ないというゼロコストによって成立する。
確かに人の目さえ気にしなければ紙袋は誰の迷惑にもならないし、抜群に便利だよねウケる。



夫婦の違い

奥さんは他人を喜ばせる為に、僕から見て面倒そうなことを楽にこなしている。相手の為にプレゼントを用意するだとか、手紙を書くだとか。しかし自分へのプレゼントや、自分の為のタスク処理が苦手だと思う。

僕も誰かにプレゼントを贈ったり、誰かとの遊びを企画したりは良くする方だ。でもその原動力はあくまで自分が楽しいから。自分へのプレゼントも沢山思い付くし、自分の為に考えたり、自分の為に仕事をこなす。

奥さんは僕とは違いサポータータイプなのだと思う。奥さんは無意識に他人の為に動ける。
そしてそれはもちろん僕や2人の子供たちのためにも普段行われている。

ゼロコストによる家族の加速

今回の見出しのふたつのきっかけに出てきたひとつめの話に戻ろう。

奥さんは子供たちの面倒を見るのを優先して、自分の面倒を後回しにしていた。そして僕の面倒を増やさないようにと立ち回り、結果的に自分の面倒が間に合わなかったのだ。

人生に必要なのは余力だ。
余力を生むにはゼロコストを増やす。

自分のことを優先する僕が他人の為に動くには、自分の余力がなければ他人の為に動けない。他人のことを優先する奥さんが、自分の為に動くには他人のことを行ない、そこに余力が残らなければ自分のことがままならない。

今回気付いた奥さんと僕の違いとゼロコスト。
そこから見えるうちのベストな立ち回りとは、奥さんは自分では持ちきれない子供の世話を僕に指示をして、残った自分の持ちきれる範囲の子供の世話をする。そしてその余力で自分の世話をする。僕にとっての高コストな他人の為にをローコストで奥さんに捌いて貰う事で今までよりも美しい流れが出来ると思う。

さいごに

今回奥さんの「なぜ?」を問いにすることで新たなゼロコストと活用方法を見付けることができた。しかも僕の知らないことを知れて面白かったのでこれももちろんゼロコスト!

これから奥さんも僕も今回気付いたゼロコストを使って仕事に活かすことで、家族内で無駄のないコストの流れを作ったように社会に対しても、無駄なコストの掛からない生活を見付けていくのを目指していこうと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?